新しい時代と別れと生きること
春は異動の季節ですが、今年も色々と異動がありました。所属教会の神父様たちはそのままですが、何かとお世話になっていた修道会が私の住む地域での宣教活動を終了しました。
一番お世話になっていたシスターが異動してから、毎月参加していた勉強会がなくなり、その修道会を訪ねる機会が殆どなくなってしまっていました。またそのうちに、と思っていたので、残念でなりません。
高齢化と人手不足で、きっと苦渋の決断だったのだと思います。
シスターたちの優しい笑顔
修道会によって違うと思いますが、私の知っているシスターたちは、何年かごとに異動して行くことが多いようです。別の修道会のシスターもすっかり入れ替わって、私が受洗のための勉強をしていた頃にいたシスターは、みな異動して行きました。
初めて教会に行く時にお世話になったシスターも、ずいぶん前に異動し、それを知った時はとてもガックリしたのを覚えています。異動後にシスターから頂いたハガキでそのことを知ったのですが、あまりにショックで、そのハガキに返事すら書けなかったことは、今も気になっている事の一つです。その時に頂いたハガキは、今も大切にとってあります。
そのシスターから頂いたロザリオは今も愛用していて、それを手にするたびに、何かと気にかけてくれた優しい笑顔を思い出します。
そして、今回、とうとう顔見知りのシスターがいなくなってしまった、と言うのは寂しい限りです。
ここ数年は仕事が忙しく、修道会が開いている勉強会などにも参加できないので、なかなか新しくシスターと顔見知りになることも出来ません。
新しい時代と、「生きる」ということ
さて、世の中は新しい時代「令和」に浮き立っているようです。私はそんなムードにあまり馴染めないまま「平成」の時代を振り返ったりしています。出会いも多くありましたが、辛い別れもたくさんあったな、と。
新しい時代に変わる瞬間を見ずに、母は去年の夏に天国に旅立ちました。そして間も無く父も脳梗塞で倒れ、眠ったまま新しい時代を迎えました。「平成最後の日」父の病室を訪ね「明日から新しい元号、令和になるよ」と言いましたが、果たして聞こえていたのかどうかは分かりません。
息をする以外は、自分で何もできなくなってしまった父。私は父が何も聞こえていないことを願ってしまいます。聞こえていたら、あまりにも辛い、と思うからです。大好きな場所で好きなことをして幸せに暮らしている夢を見ていてほしいと思います。
父が入院している病院は同じような状況の患者さんばかりです。父の眠る部屋にも他に同じような状態の方が4人います。鼻からのチューブで必要な栄養を送り、動くことも話すこともできず眠っているだけです。
そんな状態の部屋を見ると「生きるってなんなのだろう?」と考えてしまいます。そして、とても悲しい気持ちになります。
父は生前「何かあった時は延命措置はしないでくれ」と何度も言っていました。なので、何かあっても蘇生措置はせず、苦痛を和らげるだけで自然に命を終えさせてほしい、と医師には伝えてあります。
けれど、ふと思うのは、食事できなくなった父に鼻からのチューブで栄養を送ることは「延命措置」ではないのか?と言うことです。意識のない父には、意思を表示することはできません。やめてほしいと思っているかもしれませんし、そうではないかもしれません。
私だったら、自然に逝かせてほしいと思いますが、その時にならないとどう思うかは自分でも分かりません。
そんなこんなで、最近の私は「生きることと死を迎えること」について、しばしば考えます。倒れる前の父に最後に会った時、仕事が忙しいと言う私に「仕事ばっかりじゃなくて、元気なうちに、好きなことをしておかないとダメだぞ」と言っていたのを覚えています。眠ったままの父に会うたび、私は「ちゃんとゆっくりしてるのか?仕事もほどほどにして好きなこともしろよ」と言われているような気がします。そして、私は考えるのです。残りの人生をどう生きるか、と。
私にとって、心穏やかに過ごせるのは祈りの時間と、ロザリオを作っている時間です。生きていくためには他の仕事もしなければなりませんが、少しづつ穏やかに過ごせる時間が増えていったらいいな、と思います。
私は、亡くなった母や眠ったままの父に、心の中で話しかけます。きっとそれは父や母には聞こえている、と思いながら。
祈りを唱えながら、異動して行ったシスターの顔を思い浮かべる時、きっとどこかで繋がっている、と思います。
信仰を持っているかいないか、どんな信仰を持っているかに関わらず、「神様を通してみんな繋がっている」と、そう思うのです。