カトリック 仏教式の葬儀に参列する時

緑の小道

私の実家は仏教です。母の葬儀も、もちろん仏教式でした。旅立った母本人は「宗教には関心がない」タイプでお経も戒名すらいらないと言っていたのですが、そうはいきません。お通夜や葬儀、初七日で延々と続くお経を、母はきっと「どれだけお経が続くの?もういいよ」と思ったことでしょう。

悩ましい仏式葬儀への参列

昔から一族でカトリック、という方以外は、私と同じく家族や親族は仏教という方が多いと思います。おめでたい席はともかくとして、仏教式の葬儀となると「どうすれば?」と悩んでしまうのではないでしょうか?

例えば、数珠はどうしようか、お焼香の時はどうしようか、皆が一緒に唱えるお経はどうしようか、などなど。
ただでも、宗派によって違うお焼香の方法で悩むのに、さらに宗教も違うとなるとかなり悩ましいです。

以前、教会のお姉様方に聞いた時は、数珠の代わりにロザリオ、お焼香の時は手を合わせてカトリックの祈りを、お経の時はロザリオの祈りを心の中で、とおっしゃっていました。

私も草の実でできた「ヨブの涙」のロザリオをもって葬儀に出ました。さすがに十字架を垂らしておくわけには行かないので、ロザリオを手にぐるぐると3重にかけた後、手のひらの中にセンターピースから下を納めて「数珠のようなもの」にして持っていました。
そうすると、手を合わせた時も十字架が滑り落ちることもありませんでした。

旅立った母本人は、そんなこと(宗教を)全然気にしませんが、親族の中にはうるさ方もいますので、ちょっと神経を使いました。

特に、私の隣に座った叔父が熱心な仏教徒で、「数珠のように見せたロザリオ」に目を止めると面倒なことになりそうだったので、ずっと、左手にかけたロザリオの上に右手を置き見えないようにしていました。
おそらく、私がカトリックだと知っている親族はいないと思います。

お経は唱えるの?

お経を唱えている間は、隣の叔父が結構なお声でお経を唱えるので、心の中でロザリオを唱えようとしても、子供の頃に覚えさせられたお経が蘇る始末。結局はじっとお経を聞きながら、母のために祈りをしたり、ただお経の言葉を聞いていたり、でした。

実家の宗派では3種類のお経が読まれるようですが、その意味はよく分かりません。お経の内容は「お釈迦様の教え」らしいです。

「別にお経を唱えたって、神様には怒られないわよ」なんて言った方もいたので、人それぞれ色々のような気がします。亡くなった方が熱心な仏教徒だったら、その方のために、私はロザリオではなく数珠を持ち一緒にお経を唱えるかもしれません。

でも、自分の信仰も大切にしたいし、なんて思います。やっぱり、数珠としても違和感のないロザリオを考えようかしら、と思います。

今度、機会があったら、神父様にきちんと仏式の葬儀に参列する時のことを聞いてみようと思います。

葬儀後の法事と追悼ミサ

さて、実家の宗派では(おそらく他の宗派も同じだと思います)、49日まで、7日ごとに法事があります。熱心な仏教徒の親族などは、毎日お経を読むそうです。

私の家族は、私がカトリックであることを除けば「宗教?どうでもいいわ」という考えなので「これからの法事がえらいこっちゃ」という感じです。私の実家では、宗教的というよりは習慣的な色合いが濃いです。

離れて住む私は、そんな法事に毎回行くことはできないので(平日だし)、家で静かに祈るつもりです。

カトリックの場合は、亡くなった日から3日目、7日目、30日目に親族と親しい人のみで追悼ミサを行い、そのあとは年一度命日に追悼ミサを行います。現在は3日目と7日目のミサは省略して30日後に追悼ミサを行うようです。

もう、母とはこの世では会えないし声も聞けないと思うと、とても寂しいですが、きっと行きたかったお花畑にいるはずです。ついつい、母のことを考えると涙が出てしまいます。

本人が望んだ通りの最後だった母。でも、
母よ、びっくりさせるんじゃないよ!もう!
と言いたくなります。

後悔や、感謝、色々な感情が混ざって涙が出てしまいますが、母はお花がいっぱい咲いているところで「ごめんねぇ、びっくりさせて」と笑っているような気がします。

いつか、私もそこに行くから、待っててね、そう思います。