アガペーとフィリア 2つの愛 〜私が洗礼を受けるまで 5〜

いきなり始まった勉強会初日は、聖書の構成と「真の平和」とは何かというお話で、聖書はイザヤの2章と65章を読んだと思います。
神父様は、聖書を使って勉強を進め、紙に色々と書きながらその解説をしてくれました。私が当時使っていたノートには、それが色々とメモされています。

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「愛」という言葉

聖書は、一人で読んでいると文章通りにしか読めませんが、神父様が解説してくださると「あぁ〜、そういう意味なのね」と納得したり、理解が深まったりしてとても興味深かったです。日本語で読むと「なぜ同じことを3回も聞くんだろう?」と思っていたところが、ギリシャ語でどう書かれているかの説明を聞いて、初めてその意味を知ったところもありました。

それは、ヨハネの福音書の21章です。イエス様が弟子のペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と尋ねます。ペトロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えているのにイエス様は3度も同じことを尋ねます。ここを読んだ時、私はなんだかペトロが気の毒に思えました。どうしてペトロが答えているのに、3度も同じことを聞くんだろう?と。

神父様は、このイエス様の質問とペトロの答えをギリシャ語にして説明してくれました。

イエス様 αγαπαs με; (agapas me?) あなたは私を愛(アガパー)しているか?
ペトロ φιλω σε (filo se) あなたを愛(フィレオー)しています。

この繰り返された会話の中で2つの「愛」という言葉は使い分けられていました。
フィレオーはフィリア、友情愛(人間の愛、ギブアンドテイクの愛、受けて与える愛)で、
アガパオーはアガペー、神様の愛(無条件の愛、見返りを求めない愛)です。

イエス様は、ご自分がアガペー(神の愛)で尋ねているのに、ペトロはフィリア(友情)で返事をしているのです。だから、イエス様は3度も同じことを尋ねたのですね。

アガペーは見返りを求めない、一方的に与え尽くす愛ですが、ペトロはイエス様を裏切ってしまっていたので、どうしてもアガペーで答えることができなかったのです。

イエス様は3度目はフィリアでペトロに尋ねます。ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えています。ペトロはイエス様を裏切ってしまったけれど、それでも精一杯の気持ちで愛していると言いたかったのかもしれません。イエス様はそんなペトロの気持ちを理解して、最後はフィリアで尋ねられたのかもしれません。

なんだか、私はこの話にジーンときてしまいました。

日本語で読んでいたら、「なぜ?」で終わってしまっていたことが、神父様の説明を聞くと、とてもよく理解ができました。私はこの部分が一番印象的だったので、忘れることのできない部分です。

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