カトリック 洗礼を受けた時ってどんな気持ち?

2017年12月21日

時々、洗礼を受けた時のことを「どんな感じだった?」と聞かれることがあります。私が洗礼を受けた時の感じは、「思ったよりも水が冷たかった」です。おそらく、聞いた人の期待には全く応えていない言葉だと思います。
けれど、長い年月を経てやっと洗礼を受けたと言う喜びで、心はいっぱいでした。

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洗礼を受けた後はキラキラ

洗礼を受けた人の中には、「洗礼を受けたあとは、空がいつもよりキラキラして見えた」とか「周りの草木がキラキラと輝いて見えた」と言う人もいます。私は、ちっともキラキラしなかったので、そんな話を聞くと、ちょっと羨ましく感じます。

洗礼前の勉強会で、神父様が「まあ、洗礼を受けたからって、突然何かが変わるわけじゃないからねぇ」と言っていました。私は、「そりゃそうだよね」と思いましたが、洗礼を受けると劇的に何かが変わると期待している人もいるのかもしれません。

洗礼を受けると、それからぱったり教会に来なくなる人も、残念ながらいるのだそうです。その原因が、期待した感じと違ったからなのか、洗礼を受けることで満足してしまったのか……。色々な事情や、理由があるとは思いますが、教会から足が遠のいてしまうのは残念なことだと思います。

私の場合、洗礼前と洗礼後で変わった事と言えば、ご聖体をもらえることと、告解をすることくらいで、あとはほとんど変わりません。精神的な面では、「人生に一本柱が入った感じ」「人生の最後に行くところが出来た」という感じでしょうか?
あとはお墓を買えば心配なし、と言うと教会の"お姉様方"に「墓はまだ早いでしょう」と笑われます。

お寺とお経とキリスト教

子供時代の私は「変わった子供」で、なぜか小学生の頃から「宗教」にとても興味がありました。夏休みのラジオ体操の後、子供たちは問答無用にお寺に連れて行かれて、「お経の練習」をさせられました。それはそれで楽しく、お寺も私の好奇心をくすぐりましたが、それ以上のものにはなりませんでした。

一体、何がきっかけでキリスト教に興味を持ったのか、自分でも分かりませんが、それは図書室で借りた「聖書物語」や、少女マンガに登場した十字架や教会だったのかもしれません。

そういえば、中学生になったばかりの頃、学校帰りに立ち寄った本屋さんで、全国の大学が紹介された分厚い本を手に取った事がありました。その中で、私の興味を引いたのは「神学部」という学部でした。何だかとても不思議な感じで、「めちゃ、面白そう!」と思った私は、家に帰って、母に「大学の神学部って言うところが面白そうだから、将来そこに行きたい!」と言いました。
夕飯の支度をしていた母は、目をまん丸くした後、「うーん、そこはお坊さんになる人が行くところだから、アンタは行けなよ」と言いました。「でも、キリスト教って書いてあったよ」と言うと、「お坊さんは色々な宗教を勉強するんだよ」と言われました。

今の時代なら、ネットで何でも調べられますが、当時はそんなものはありません。ただ、キリスト教を勉強したかっただけの私は、母の言葉を信じて「お坊さんにはなりたくない」と、がっかりした記憶があります。

やっとたどり着いたカトリック教会

結局、私がカトリック教会に通い始めたのは、子供の頃に「教会に行きたい」と思ってから何十年も経ったあとでした。人生の中で色々な事や、出会いがあって、やっと私は行動をする事が出来たのです。

いつも、心のどこかで、死ぬ前にキリスト教の洗礼を受けたいと思っていた私にとって、洗礼は子供の頃からの思いがやっと叶った瞬間でもありました。けれど、洗礼の瞬間は「ひっ、水、冷たっ!」でした。

神様が、私を最初に呼んだのは、あの子供時代だったのかもしれません。それからも、度々、神様は呼んでいたのだと思いますが、私は何十年もそれに気付きませんでした。そういえば、所属教会の裏に住んでいた時も、何度か教会の前には行きましたが、中には入りませんでしたっけ……。神様は「そこまで来て、まだ来ないんかーい」と思ったことでしょう。

神様的には、ある日しれっとやって来た私に「ここはひとつ、冷たい水をかけてやるか」なんていたずら心を出したのかもしれません。

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