映画「沈黙 -サイレンス-」と現代社会と信仰と

十字架

Amazon Primeで観られるようになっていたので、かなり遅ればせながら、映画「沈黙 -Silence- 」を観ました。ついこの間、映画館でやっていたと思っていたら、日本での公開は2017年の1月。もう二年も経っていたことに、なんて月日が経つのは早いのだろう、と思ってしまいました。

映画館で公開された時に観に行った友人が「処刑とか迫害とか、なかなか重い映画だった」と言っていたので、ゆっくりと観られる時に……と思っていたら、随分と見るのが遅くなってしまいました。
原作が遠藤周作だけあって、友人が言っていた通り全体的に重い映画でした。BGMもほぼ無し。暗めのトーンに激しい迫害と過酷な拷問……。確かに元気な時でないと観られない映画かも、と思いました。四旬節に見るにはぴったり、かも😅

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自分の信仰心の弱さを知る

映画の中に描き出されるのは、どんなに迫害されても信仰を捨てない人々の姿。心が痛くなるようなシーンがたくさんありました。まだまだ映画の始まりと言えるあたりで、モキチが磔にされながら聖歌を歌うシーンがあるのですが、すでに泣きそうでした😭

映画の中で時々唱えられるラテン語の祈りが、やっぱり美しいな、と思いながらも切ない気持ちにもなりました。

私だったら、自分や家族、仲間の命の危機だと脅されたりしたら、「きっと、神様は許してくれる」なんて思いながら、さっさと踏み絵を踏んでしまいそうです。迫害されたら、あっさり信仰を捨てたふりをするような気がします。

明らかに、私はキチジロータイプです。(でも、キチジローほどの信仰心はないかと……😅)

信仰を守り抜いて殉教する勇気は、とても私には持てません。
自分の信仰心の弱さを思い知らされてしまいます。


リンクのサムネイルが違う映画になっている不思議(Amazonではよくあること、っぽいです)

信仰がなくても生きていける時代

今の日本は、宗教を理由に迫害されることはありません。特定の信仰を持っていると「困ったタイプの新興宗教」と十把一絡げにされて「宗教やってる人」と軽く偏見を持たれてしまう事はありますが、命の危機にさらされる事はありません。
そして、便利で不自由することなど殆どない生活の中では、信仰心を持ち続けることすら難しいように思います。

信仰を持たなくても不自由しないし、神様を信じていなくても生きていける、信仰を持つよりも楽しいことがいくらでもある時代です。私の周りにも「生きるのに宗教なんか必要ない」と言う人もいます。

カトリックの家庭に生まれない限り、何か大きな出来事がなければ信仰を求めることも無いように思います。
私自身も、いじめられっ子で学校に行くのが辛かった頃、図書館で読んだ聖書物語がきっかけで、神様のことを考えるようになりました。

そして、小学生の頃、誰かにキリスト教会のバザーか何かのチラシをもらったことがきっかけで、そこの牧師さん(か神父さん)に手紙を書いた記憶があります。神様のことや、いじめられっ子で毎日辛いとか、そんなことを書いたような気がします。
子供が書いたよく分からないであろう手紙に、教会は、ちゃんと返事をくれました。
私は、それがとても嬉しく、勇気をもらった気がしました。(どんな内容だったか覚えていませんが……💦)

けれど、遠く離れた町にあるその教会に、私は行くことはありませんでした。そして当時の私は、キリスト教にプロテスタントとカトリックなどの教派があることも知りませんでした。(おそらく、私が手紙を書いたのはプロテスタント教会だと思いますが)

今となっては、その教会がどこの教会だったのかも思い出せませんが、あの時の手紙の返事が、いじめられっ子だった私の心を支えてくれたのは確かです。

それから何十年も経って、とても苦しく辛い出来事を経験して、ようやくカトリック教会の扉を叩きました。
「いつかキリスト教の洗礼を受けよう」と思い続けていたことを、「考えるだけではなく、今やろう」と思ったのです。

心に開いた穴は神様のかたち

教会の友人が「心にぽっかりと空いた穴は、神様のかたちをしているんだって」と話してくれたことがあります。それが、友人が本で読んだことだったのか、シスターから聞いたことのだったのかは覚えていませんが、「あぁ、なるほど」と二人で納得したのを覚えています。

神様が心の中にいれば、どんな時も、強い心や穏やかな心を持って生きられるのかもしれません。けれど、洗礼を受けて「ちゃんと」カトリック信者になった今も、しょっちゅう私の心の中には穴が空いています。

神様、どこいっちゃった?です😅

辛い時、神様を信じきれず、お祈りの替りに神様に文句ばかり言った挙句「神様なんていないんだ!」なんて思ってしまいます。
それでも、結局、ロザリオを握りしめてお祈りを始めたりと、自分でも「一体、私の信仰心はどうなっているの?」となります。きっと私は、「神様を信じている」のではなく「神様を信じたい」と思っているのでしょう。

神様を信じることで、どんな辛いことが起こっても乗り越えようと考えられますが、神様がいないと言われたら、私は何の希望も持てなくなってしまいます。

生きて行くなかで、怖いことはたくさんあります。仕事がなくなったら、生活するだけのお金が稼げなくなったら、病気になったら……、心配や不安はたくさんあります。けれど、一番怖いのは、神様がいないことかなぁ、と思います。

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