カトリック 主日のミサと人間関係
この前の日曜日、セットしたはずの目覚ましが鳴らずに寝過ごしてしまい、ミサに与ることができませんでした。日曜日は聖歌隊では歌いませんし、前日の土曜日の夕ミサには与っているので良いのですが、何となく普段と違う日曜日で落ち着きませんでした。
土曜日の夕ミサと日曜のミサは同じ「主日のミサ」なので、ほとんどの人は土曜の夕ミサか、日曜の何時のミサに与るかを決めているようです。
主日のミサは土曜の日没後から
教会では「主日」という言葉をよく聞きます。ミサの時に使う「聖書と典礼」にも、第○主日と印刷されています。
「主日」はキリスト教で日曜日のことを指しています。イエス・キリストが復活したのが「安息日が終わって週の初めの日」、つまり日曜日なので、教会ではキリストの復活を記念して日曜日を「主の日」、「主日」としてミサ(プロテスタントでは礼拝)を行うようになりました。
枝の主日、復活祭、聖霊降臨祭、この3つの祭日は必ず、主日に行われます。
カトリック教会では、主日のミサを土曜の日没後から行うことができるので、仕事や色々な事情で日曜の主日ミサに与れない場合に、土曜日の夕ミサに与ることができます。
私は通常、土曜の夕ミサと日曜の朝のミサに行っています。土曜は聖歌隊として、日曜は聖歌隊では歌いませんが、日曜のミサは好きですし、土曜日には会えない代母さんや仲良くしている人たちと会えます。時々、日曜のミサに、仲良くしている人が誰も来ていないと、ちょっとガックリしたりします。
ミサの時間と人間関係
私は、教会の人間関係に深く関わろうとはあまり思いませんが、ごく少数の親しい人とミサの後にお茶を飲んだりする時間はとても好きです。
洗礼を受ける前に神父様が、「まっ、教会も聖人の集まりじゃないからねぇ。色々ドロドロとした人間関係もあるよ」と言っていました。
神父様が冗談っぽく言ったので、私はそれをあまり信じていませんでしたが、最近になって、周囲の人から「困った人」の話をしばしば聞いたりするようになりました。
人が集まれば、どこも同じようなことが起こるのだな、と思いました。
そんな面倒な人間関係を避けるために、ミサに与る時間を決めている人も少なくないようです。
所属教会は規模が大きい方なので、日曜9:30のミサにはたくさんの人が来ます。誰が来ていて誰が来ていないかなど分かりませんが、小さな教会の場合はそうもいかないようで、それが嫌で規模の大きい教会に替わる人もいるようです。大きな教会ならミサに与かった後に、さっと帰ることができますし、誰もそれを咎める人はいません。
けれど、色々と教会活動に関わっている人の中には、揉め事に巻き込まれて神経をすり減らしている人や、誰かに対してひどく不満を持って揉め事を起こしてしまう人もいるようです。
幸い、私は大きな揉め事に巻き込まれたことはありませんが、苦手だと思う人や積極的に関わりたくないと思う人は、職場や日常生活の中、そして、やっぱり教会の中にもいます。
どこに行っても、人間関係には面倒な部分がありますが、どんな時も心をひろーくもって生きられるようになりたい、そう思います。