聖歌 マラナタって何?

本

先週の土曜の夕方、ミサ前の聖歌隊での練習で歌った曲に「マラナタ」と言う聖歌がありました。
聖歌や聖書の中には、時々「それ何?」という言葉が登場します。この「マラナタ」も「マラナタって何?」と思いながら歌っていました。
ずっと前に、それが何かを聞いた気がするのですが、すっかり忘れてしまっている私。食べ物?マンナって言う食べ物が聖書に登場していてよね、なんて思っていました。

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「マラナタ」はアラム語

一通りの練習が終わって、私が「マラナタって何ですか?」と聞くと、その場にいたメンバーみんなで「えーっと、何だったっけ?」となり、スマホで検索が始まりました。

知らないの私だけじゃなかった、なんてちょっと安心したりして😅

マラナタはアラム語で「主よ、きてください」と言う意味で、「マラン」が「主よ」で「アタ」が「来てください」なのだそうです。
「マラン アタ」が、だんだんと「マラナタ」になったのかしら?

この言葉の区切りは「マラナ・タ」だそうで、「アタ」の「ア」が「マラン」の「ン」とくっついて「ナ」になったのかなぁ、と思います。(勝手に推測)

ミサで歌った聖歌「マラナタ」は心地よいリズムで、好きな聖歌のひとつです。

カトリック教会の聖歌集は、「マラナタ」ですが賛美歌21では「主の食卓を囲み」というタイトルになっています。

655. YK : カトリック典礼聖歌集 325番 マラナタ 静岡グロリア混声合唱団と観客

マラナタ

主の食卓を囲み 命のパンをいただき
救いの杯を飲み 
主にあってわれらは一つ
   
マラナタ マラナタ 
主のみ国が来ますように
マラナタ マラナタ
主のみ国が来ますように

主の十字架を思い 主の復活をたたえ
主のみ国をまち望み 
主にあってわれらは生きる

マラナタ マラナタ 
主のみ国が来ますように
マラナタ マラナタ
主のみ国が来ますように 

歌詞に信仰心を問われている気がする

この日に歌った聖歌は他にも「行け地の果てまで」という曲もあって、私は思わず「神様に地の果てまで行けって言われたらイヤだなぁ」と言ってしまいました。そんなこと言われたら、聞こえないふりしてそっと目をそらしちゃうわ〜、なんて思う私の信仰心は、まだまだです。

土曜日の聖歌隊の練習は、いつもこんな感じに和やかに始まり終わります。リラックスして練習できるのはとても良いことだな、と思います。(特に、私のような素人は……)

時々、知り合いに「日曜日は聖歌隊で歌わないの?」と聞かれるのですが、私は土曜日の夕方だけ参加しています。日曜日のメンバーの方達はきっと「ほぼモグリ」の私を知らないかも……、という感じです😅

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