「数珠に見えるロザリオ」の賛否両論
最近、たまたま「数珠に見えるロザリオ」のお問合せと、「ご意見」をいくつか頂いたので、「数珠に見えるロザリオ」について、書いてみようと思います。
まず、「数珠に見えるロザリオ」はお祈り用と言うよりは、仏事を平穏にやり過ごすためのものです。
仏事で「何かと面倒な親族」と「面倒なやりとり」をするのを避けるために思いついたもので、ひも編みのロザリオに「房飾り」をつけて誤魔化そうと言う発想です。
なので、仏教とカトリックを「合体」させるような意図は全くありませんし、房はただの「飾り」です。
仏事に「数珠なしでも問題がない」という方や「数珠に見えるロザリオ」に違和感を感じる方には、当然ですがおすすめしません。
私も経験しましたが、地域や家庭、場所や顔ぶれによっては仏事に数珠を持っていないと「面倒くさい事」が起こることがあります。
特に成人洗礼の場合は「なぜカトリックになったのか」と根掘り葉掘り聞かれたり、親族に説教されたりする事もあります。職場などの場合は、数珠を持っていない理由を説明すのにも抵抗があります。
そんな時に割り切って「数珠を持てばいい」「堂々とカトリックだからって言えばいい」と思える方にも、この「数珠に見えるロザリオ」は必要ないでしょう。
「数珠に見えるロザリオ」は、「数珠のことで面倒なのは嫌、職場で信仰という個人的なことを話したくない、でも数珠を持つのもモヤッとする」というカトリックの方に向けたものです。
現在、私が作っている「数珠に見えるロザリオ」は「十字架と房の両方が取り外しできるタイプ」と「房のみが取り外せるタイプ」があります。なので、房を取り外せば普通のロザリオとしても使えますし、「房のみの取り外しタイプ」は房を外せば普通の紐あみのロザリオです。
ちなみに、私は自分用に作った「数珠に見えるロザリオ」は仏事専用になっています🙂
少しずつ仕様変更した「数珠に見えるロザリオ」
最初は房と十字架の取り外しはできないタイプだったのですが、普段使いできるように、房を取り外せる様にしました。これが、数珠に見えるロザリオVer.2です。
次に、十字架と房の両方を取り外せるようにしたのが、Ver.3です。
数珠のように見せたい時に、十字架をセンターピースの下に移動させて、十字架を手の中におさめて持てるタイプです。
そして、お客様からのリクエストで念珠用の房をつけて、さらに数珠に見えるようにしたのがVer.4「もっと数珠に見えるロザリオ」です。十字架を繋ぐパーツもチェーンタイプと紐タイプがあります。
これは、よっぽどじっくりみない限り「数珠にしか見えない」ロザリオです。「面倒な親族や知り合い」の目をしっかり誤魔化せます^^;
ただ、これが「異教のものを取り入れている」と思う方もいらっしゃるわけです。アクセサリー資材として売られていたものなので、「念珠用」というにはお手軽な「タッセル」という感覚だったので、とても貴重な意見でした。
ただ「仏事を平穏に乗り切る」ための「アイテム」ですが「念珠用」と記載しない方がいいのかな?と考えています。
数珠、他の人はどうしている?
様々な事情で「数珠を持つことにモヤッとしている」カトリックの方の役に立てれば、と思って作っていますが、この「数珠に見えるロザリオ」をどう捉えるかは、人それぞれだと思います。
私は何人かの教会のお姉様方に仏事の数珠について聞いたことがあるのですが、これまた人それぞれで……。
1.気にせず仏教の数珠を持つ
2.堂々とロザリオを持つ
3.控えめにロザリオを持つ
4.どっちも持って行かない
大体この4パターンです。
洗礼を受ける前の求道者の頃、神父様にも聞いたことがあるのですが「数珠は持たない、ロザリオで」と言われた記憶があります。
個人的には、仏事は「数珠もロザリオも持たない」で良いと思うのですが、数珠を持ってないと「数珠忘れたの?これ貸してあげるわ」ってなるのですよね……(数珠って貸し借りするの?)
結果、私は最初は3でした。(数珠も持っていなかったし)
けれど田舎の仏事は何かと面倒で、数珠を持っていなければ「ちゃんと数珠を持ってきなさい」と言われますし、そこで「カトリックなので」と言おうものなら、熱心な仏教徒の叔父から「けしからん」とお説教が始まるのが目に見えています。
亡くなった両親からも「親戚にはカトリックって言わないでおきなさい、面倒だから」と言われてましたっけ……。
なので、カトリックの私にとって、「仏事の数珠問題」は実に悩ましいものです。
「数珠に見えるロザリオ」には賛否がありますが、私と同じように感じている方たちの役に立てる間は作り続けようと思います。