パパ様のミサ「日本語はひと言だけだった」と言う記事に思う

ネットニュースには先日のパパ様来日に関する記事がまだ多く掲載されています。パパ様カレンダーが修造カレンダーを超える勢いだたとか。ああ、だからドン・ボスコさんのサイトでも売り切れだったのね、と納得してしまいました。早めに買っておけば良かった、と思ったりして💦

さて、ニュースサイトにリストアップされていたパパ様関連のニュースで「そこを突いたか。ささやかな悪意を感じちゃうんだけど」と感じてしまった記事があります。(週刊誌が書いた記事なのでそんなものなのだと思いますが……)
それは東京ドームでの教皇ミサの言語に関することでした。「ローマ教皇の東京ドームミサ 日本語はひと言だけだった」と。私には「だから何?」と思うような見出しです。パパ様が話された日本語の数を数える事に何の意味があるのか?と思います。

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「日本語はひと言だけ」ではなく「ふた言」です

記事の見出しには「日本語はひと言だけだった」とあり、記事中には『東京ドームミサでローマ教皇が日本語で発した言葉は、「全能の神と、」というひと言だけ』とあります。

けれど、それは間違いです。パパ様が日本語でおっしゃったところはもう一つ、Consecratio(記念唱)の「信仰の神秘」があります。長崎のミサでは、パパ様がうっかりラテン語で言いそうになっていましたっけ☺️

よく調べもせずに「ひと言だけ」なんて悪意を感じる見出しを掲げるのは如何なものかと思います。

おそらくカトリックではないと思われる記者の方が、ミサに参加された上でこのような記事を書いていたらちょっと残念な気もします😞

記事には、いきなりラテン語で始まって戸惑った信者さんがいたとか、様々な言語が混じっていて歌も外国語で大変だったとか……。確かに、多言語のミサは大変かもしれませんが、それを大変と感じるか楽しいと感じるのかは個人の受け取り方ではないかと思います。
私はとても楽しかったです。この国だとこんなに明るいノリノリのメロディで歌うのね、とか、お国柄によって雰囲気が違うのが面白かったです。

ミサに行かれなかった私が言うのも何ですが、「教皇ミサ」なのですから全部ラテン語でも良かったのではないかと思います。

日本語がひと言だけだったとか、外国語が多かったとか、そんなことを後で書かれるならカトリック教会共通語のラテン語でいいじゃない、と。私が知る範囲(ライブ配信や動画で見た)でサン・ピエトロ大聖堂で行われるような大規模なミサのほとんどは、朗読とお説教、共同祈願以外はラテン語だったはずです。そして朗読は英語とイタリア語など多言語だった気がします。

なので、日本での教皇ミサも朗読は日本語、お説教はスペイン語(パパ様の母国語)で、それ以外はラテン語でも「普通」な気がします。ミサ曲も天使ミサ曲ならば歌える人も少なくはないはずです。

日本ではレア?なラテン語ミサ

その記事の内容が嘘か真かなのは分かりませんが、個人的には、カトリック信者が “In nomine Patris,et Filii,et Spiritus Sancti"(父と子と聖霊のみ名によって)というラテン語に「戸惑った」と言う事に少し驚いてしまいました。それとも、私がグレゴリオ聖歌でラテン語に多少は慣れているからだけなのでしょうか?

ラテン語で応えなければならなかった奉献文も、短いラテン語です。開始前に式次第を確認しておけば何とかなる気がしますが、見慣れないラテン語にはやっぱり抵抗があるのかもしれません。ラテン語ミサに慣れていない人向けに、式次第にルビをふっておくことは出来なかったのかしら?と思います。

それにしても、週刊誌の記者は「こんなところに目をつけるのか」と思いました。この記事を書いた記者の方は「日本では日本語のミサが普通らしいから教皇ミサも日本語中心にするべきだった」と言いたいのでしょうか?🙄
「教皇ミサ」なのだからラテン語が当然だと思っていた私とは真逆の考えですが、もしかすると一般の人はそう感じているのかもしれません。

日本のカトリック教会ではラテン語ミサが積極的に行われることは稀なように感じますし、ラテン語やグレゴリオ聖歌に否定的な司祭もいらっしゃるようです。なので、ラテン語は分からない、馴染めない、という信者さんがいるのも現実です。

けれど、ラテン語はカトリック教会の共通語で、ゴレゴリオ聖歌はカトリック教会の伝統的なものです。日常のミサに積極的に取り入れることはなくとも、これらを否定するのではなく「伝統」として受け継いでいくことは大切なことではないのかなと思います。まだまだ「新信徒に毛が生えただけ」の私が言うのもおこがましいですが……。💦
何らかの形で、ラテン語のミサに与る機会が年に一度でもあれば、今回のように"In nomine Patris,et Filii,et Spiritus Sancti"と始まっても、戸惑う人は少ないのでは?と思います。

この記事の最後には、『また教皇が日本に来れば、違った祈りの場が設けられるだろう』とあるのですが、この意図するところは『今度はもっと日本人に配慮して日本語が多いミサ』を指しているのかしら?と思ってしまいました。

英語の祈りを聞かされたとか、タガログ語の歌を歌うのが大変だったとか、そんな声を取り上げて週刊誌のニュースに書かれるのなら、次回はラテン語一択で!と思います。カトリック教会の共通語なのですし、外国の方もラテン語ミサに慣れている方は少なくないと思います。

私は外国人にも配慮した、多言語の楽しいミサだと思いましたが、こんなふうに感じで記事にする記者もいるのだなぁ、と思いました。いろいろな捉え方があるとは思いますが、この記事の見出しは訂正して欲しいです。パパ様が日本語でおっしゃったのは「ひと言だけじゃなくて、ふた言です」。

でも、こんなことにいちいち突っ込んでいる私も細かい、かも😅だって、違うんだものーーーー!

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