聖歌隊 褒められて小躍りする

バラと本

昨日の夕ミサが終わった後、楽廊に見知らぬ外国の方がやって来ました。ミサが終わった後に、短いとは言えない階段をわざわざ登って楽廊までやってくるのは大抵は関係者か誰かの知り合いです。今回も、どこかの修道会の神父さまか、もしくは教会関係者で「ダメ出しきた?」と一瞬冷や汗が流れたのですが、そうではありませんでした。

楽廊に現れた見知らぬ外国人

彼は「こんばんは」と日本語で挨拶をすると、英語で話し始めました。カリフォルニアから来たという彼は、歌をわざわざ褒めに来てくれたのでした。今まで言われたことがないようなお褒めの言葉を頂き「とても美しくて素晴らしかった。ありがとう」なんて言われ、嬉しくて小躍りしてしまいそうになりました😊

ダメ出しされることはあれど、褒められることは滅多にないので、私たちにはかつてない喜び(大げさ?)でした。

わざわざ階段を登って楽廊までそれを言いに来てくれたことが、とても嬉しかったです。この喜びを謙虚に受け止め、これからも練習に励もう!と思いました。

みんな、ミサの後の足取りはとても軽やかでした✨

心を合わせて歌うこと

昨日は、人数多め(…と言っても6人)、ミサの前にハーモニーの練習をしたのが良かったのかもしれません。もっとも、音楽の基礎がない私には冷や汗が出るような練習で、練習したというレベルではないのですが……💧
リーダーの方が「他の人の音をよく聞いて歌って」と繰り返し指導してくれたのが良かったのだと思います。

今までも、グレゴリオ聖歌を歌う時に同じようなこと「周りの声を感じながら歌って」と先生に言われていました。けれど私は、それがどんな感覚なのか、いまいち理解できていませんでした。昨日のように1人づつ違う音で歌って練習すると「他の人の声と溶け合う」という感覚がちょっと分かった気がします。

……とは言え、私のような初心者は、歌っていると、他の人の声や音を聞いている余裕がなくなってしまいます。音程に気を取られて、とにかく必死になってしまいます💦

聖歌隊で歌う時、音程を外さないことも大切ですが「みんなで心をひとつにして歌う」と言う気持ちは、「上手く歌うこと」より大事なことではないかなと感じました。いくら上手に歌えても、合唱で自分勝手に歌ってしまったら、台無しになってしまいます。
特に、聖歌は「祈り」で神様に捧げるものです。みんなで心をひとつにして歌うことは大切なことだと思いました。

私の場合、必死になりすぎて他の人に迷惑をかけないようにするので精一杯な気もしますが……😅

昨日、初めて体験したハーモニーの練習は、音楽素人の私には、とても難しいです。何をすればいいのかすらわからない始末でしたが、これから頑張って練習しよう、と思います。

神様に捧げる美しい歌の響きのひとつになれたら、そして、それが誰かの心に心地よさを届けることができたら、それはとても幸せなことだと思います。昨日の喜びを忘れることなく、日々精進です!