宗教と母と閻魔様の話
日本では、家に仏壇や神棚があるものの「無宗教」と言う人が多数派のように思います。そんな人たちにとってカトリックの私は「珍しい生き物」のように感じるようです。
時々「神様を信じられるなんておめでたいね」「キリスト教って偽善的だよね」など、宗教戦争などを持ち出したりして、ネガティブな意見を頂戴してしまうこともあります。😅
彼らの言い分は「神様がいるなら、なぜ不幸な人がいるのだ」です。
神様がいるならこんな世の中じゃない?
人は生まれてくる場所を選べません。平和な国で裕福な親の元に生まれ、何不自由のない人生を送る人がいれば、不幸な状況に生まれ、命の危機にさらされなが生きる人もいます。
今の日本は平和で恵まれていますが、何となく「強い者が勝つ」「正直者が馬鹿を見る」ような仕組みで、理不尽に感じることが多くあります。
そして世界には、戦争や差別、貧困など大変な状況で生きる人たちが多くいます。一部の身勝手な人たちの私利私欲のために、多くの人が苦しんでいるのです。
確かに、神様がいるなら、なぜ世界はこんな不公平で不幸な状況があるのだ、と考えてしまいます。
キリスト教的に考えると、神様が世界と人間を作り、神様は人間に「自由」を与えた結果であると言えるように思います。神様は人間に「自由」を与えたので、人間の選択をじっと見守っているけれど、人間の情けない選択や間違った選択に心を痛めているのでは?と。
そんな風に答えて「上手いこと言うね。ちゃんと答えの逃げ道があるんだ」と返されてしまったことがあります。「神様なんかいない」と言う彼らには、そう思われても仕方ないか……、なんて思いますが💦
世の権力者の中には神様を自分に都合よく上手く利用して、人を支配する人もいます。日本の政治家の中にもカトリックの方がいますし、某国のトップもプロテスタントです。
私利私欲のために、神様や仏様を利用する人が存在する現実を見ていると「神も仏も信じられない」と言う気持ちも何となく分かります。
「こんな世の中だから信仰を持って生きたい」という私とは全く逆の考え方に「なるほど」なんて思ってしまうのは、「宗教の自由」が保証された日本の日本人だからでしょうか?
神様を信じていなかった母と閻魔様
私の実家は仏教では「一番ゆるい」といわれる浄土真宗大谷派で、家族は宗教には全く興味がありません。亡くなった母の法事も「宗教」というより「習慣」と言う感じです。
母本人は「神様はいない」と言う人でしたが、なぜか「閻魔様」の話を時々していました。
母は子供の頃に母(私の祖母)に「閻魔様は人間が何をしているかちゃーんと見てる」とか「人の人生は閻魔様の帳面に細かく書いてあって、その通りになっていくから抵抗しても無駄」と言われていたそうです。
私は閻魔様のことは良く知らないのですが、サンスクリット語のヤマが語源のようで、日本の仏教では地蔵菩薩の化身とされているそうです。(地蔵菩薩って何?)
閻魔様は冥界の王で、人間の生前の罪を裁くらしいです。カトリックの私は、最後の審判的な風景が頭に浮かんでしまいます。
体を離れた魂は7日ごとに7回、閻魔様から罪を裁かれて、49日目に判決が出てどこへいくのか決まるのだそうです。
母も今頃、お花畑で閻魔様の裁きを待っているのでしょうか?きっと天国へ行けると思いますが、何だかドキドキしてしまいます。
生前の罪を裁いてどこにいくか決める閻魔様、キリスト教の神様とほぼ同じ感じ?なんて思ってしまいました。
信仰の形は違えど、神様や仏様はどこかで同じところに辿り着くのかもしれません。漫画の「聖 おにいさん」みたいに、イエス様とお釈迦様が親友だったりして……😅
私の今までの人生も、神様から見たら褒められたものではないと思いますが、少しでも正しい行いができるように生きたいと思います。