父の旅立ち

4連休2日目の早朝、入院していた父が旅立ちました。2年近く植物状態で眠っていた父は、10日ほど前に容体が急変して持ち直したばかりでした。あれは、最後のひと頑張りだったのかな?と思います。

意識のない父が何か感じていたのか、夢の中にいたのかは分かりませんが、動くことも話すこともできない体から解放されて自由になり、旅立つことが出来たと思うと、ほっとしたような、寂しいような気持ちです。

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魂は蝶になって

私はカトリックですが、両親の家は仏壇と神棚はあるけど「無宗教」です。けれど、父も母も自分が死んだら「お花の咲いたところに行く」と考えていたようです。

父の魂は体を抜け出して、今は自由に、親しくしていた人のところを訪ねて回っているかもしれません。

旅立った後の体を、私は「抜け殻」のように思います。ちょうどセミが羽化した後の抜け殻のような感じです。
自由にならない体から、羽化したセミや蝶のように、羽を広げて旅だったと思うと、悲しいけれど、「やっと楽になれたね」と言いたい気持ちになります。

お通夜の会場に棺を運ぶ時に、いつの間にか部屋に入ってきていた蝶が周りを飛び回り、棺と一緒に外に出て行ったり、お墓にお骨を納めに行った時にも蝶が周りを飛んでいたりして、もしかすると父の魂は蝶になって旅だったのかしら?とも思います。

出棺の時は、「母と会ったら、花を渡せるように」なんて言いながら、たくさんの花を棺に入れました。きっと、母は「もう来たの?」と文句を言いながら迎えに来ていたような気がします。

また会うその時まで

荼毘に付される前に最後のお別れをするのですが、私は先に旅立った母にも、父にも「またね」でした。

また、いつかどこかで(天国?)会えると、そう思うからです。

この2年ちょっとの間に、私の両親は二人とも旅立ってしまいました。なんだかんだ言って、仲が良かったのだろうな、と思います。

あっという間に、旅立ってしまった二人。果たして無宗教の両親と、カトリックの私が天国(……に行けるかな?)で再び出会えるのかどうかはわかりません。「あの世」は宗教関係なく、繋がっているかもしれませんし、「罪深い」私は天国ではなく別の場所に行くのかもしれません。

でも、きっと、私の旅立ちのときは迎えに来てくれるよね、と思います。

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コラム

Posted by Francesca