成人洗礼カトリックあるある3|信仰とツッコミの二刀流で生きてる説

「カトリック信者です」って名乗ると、なぜか静かで優雅なイメージを持たれがち。
でも現実は、祈りの隙間にツッコミが挟まってるのがリアルなツッコミ系信者ライフです。

1. 「祈ってます」と言いながら、途中で雑念に負ける

「今日はちゃんとロザリオ一環祈ろう」
→「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように…」
→「(あ、明日のお弁当どうしよう。冷蔵庫に卵残ってたっけ…)」

→「って全然祈れてないやん!!」

途中で我に返って、「今の一連、絶対聞こえてなかったよね…」ってなります。でも信じてください、「神さま、心は祈ってました」って。

……いや、ほんとは卵の心配してたけども。

神様こんな私をどうかお許しください!

2. ミサ中に神父さんのクセを観察し始める

真剣にお説教を聞いていたはずが、ふと気づくと…

「神父さん、今日も “それでは…” を10回以上言ってるな」
「お説教のとき、たまに手が“グー”になるの、かわいい」

とか、完全に観察モードに突入してます。

そして帰り道、
「お説教の中身は…たしか、パンの話だったかな…?」ってなるやつ。

集中してるつもりが、別のことに集中してた。

3. ミサ中の「静かに座ってる時間」、地味にお尻が痛くなる

ミサって、意外と「立つ・座る」が多いです。

で、いつの間にか座ってる時間が長引くと、固い教会の椅子にお尻が負け始めて、じわじわ…、そのうち足までビリビリ…って、

「あ、やばい。立てないやつ来た」

でも立たなきゃいけない場面で、無理に立って、
「おっとっとっと…主よ、あわれみたまえ!!」

お祈り中なのに、お尻と足元では完全に耐久レースが行われてるのもあるある。

4. 「クリスチャンなんだ、すごいね」コメントに戸惑う

「クリスチャンなんですね!心がきれいなんでしょうね!」
とか言われると、

「えっ…いや、全然。むしろ心の汚れを自覚したから洗礼受けたんですが…?」

って心の中で全力否定してます。

「教会行ってるんでしょ?いい人そう〜」とか言われても、
「いや、さっきミサ行く前にめっちゃ電車でイラついてたしな…」ってなります。

信仰=人格レベル高い、みたいなイメージ、
あれ誰が植え付けたのでしょう。むしろ日々の戦いです。

おわりに|笑いながら、ちゃんと歩いてる

信仰って、完璧じゃなくていい。
ときどきズレて、ときどきツッコんで、でも心はちゃんと神さまの方を向いています。

だから私たちは、笑いながら、今日も信者として生きていきます。
失敗も含めて、信仰の味わい深さというものではないでしょうか?