成人洗礼カトリックあるある|ちょっと笑えて、すごくある

日本では少数派なカトリック信者。特に大人になってから信仰を持ち、洗礼を受けた「成人洗礼組」には、ちょっとユニークな“あるある”があったりします。
今回は、そんな「成人洗礼カトリックあるある」を、共感と笑いを込めてご紹介しようと思います。
敬虔な信者のみな様、スミマセン、かなりツッコミ芸人風です。どうぞ広い心で受け止めてください。
1. 洗礼名、誰にも言えないけどアカウントには入れがち
洗礼名をもらったあの日、「私もついに、カトリック信者の仲間入り…!」と感動した記憶。
でも現実はというと、
「洗礼名って…いつ使うん?」
「葬式くらいしかなくない?」
いや、それは困る。せっかくもらったのに。
ということで、メールアドレスに入れたり、SNSのIDにこっそり組み込んだりするのが信者あるある。
ただし、カトリックをあまり公言したくない派も多かったりします。うっかりアカウント名のことを
「そのアカウント名なんなの?」と聞かれても、説明するのが面倒!
「実はカトリックで」「聖人からもらった名前で…」「洗礼名っていうのがあって」
と説明しかけて、
「あー宗教系?」で終わるのがオチ。
いや違う、そうじゃない。
そういうネタじゃないんだ。大事な名前なんだよ…!
余談:
『Rosary Francesca』も私の洗礼名を含んでいます。が、イタリア語表記になっているのがポイントです。カタカナ表記は「フランシスカ」ですが、アルファベットの場合は密かにラテン語表記の「Francisca」にしたりします。(グレゴリオ聖歌オタクなのでラテン語^^)
2. 聖歌、最初は音痴。慣れるとツッコミ芸人化
ミサの聖歌、とっても神聖。だけど歌ってみると…
「音程どこいった!?」状態。
最初はただのBGMから、だんだん「この聖歌、何番?」と聖歌番号ガチ勢になり、ある日突然、自分の中の芸人が目覚めます。(そっち?)
「行け〜行け〜地の果てまで〜」
→「いや、地の果てまではちょっと……難しいなぁって」
「神よ、あなたの顔の光を〜」
→「うん、ほんと光ください。最近、人生ぼんやりしてて」
心の中はツッコミ祭り。でも歌うときは真顔。
それが信者の矛盾スタイル。
3. 神父さんのジョーク、スベってるのに…なんかクセになる
ミサ中、ちょっといい話が続いたな〜と思っていたその時。
突然やってくる、神父さんの“信仰ギャグ”。
たとえば、ある日の説教。
神父さん:「人生は山あり谷ありですが、山に登ったら感謝、谷に降りたら祈りましょう。そして私は平地が好きです。」
ツッコミ:「どっちでもないんかい!!」
でも、誰も突っ込まない。むしろみんな静かに微笑んでる。
この空気、なに?
神聖な沈黙 or ちょっとした我慢大会?
最初は笑っていいのかわからず、顔が引きつる。
でも慣れてくると、もうツッコミ待ちの気持ちで聞いてる自分がいる。
むしろ、そのダジャレを聞かないと物足りなくなってきてる自分が怖い。
神父さんのスベりギャグ、教会生活における“神のユーモア”枠かもしれませ
4. 聖人トリビア、無駄に詳しくなる
洗礼名を選ぶとき、必死に聖人調べした結果、
気づけば「歩く聖人図鑑」状態。
- 「その人、斧で殉教したんですよ」
→ 聖ボニファティウス(ドイツで布教中に斧で殉教) - 「この聖人、動物と会話してたんですよ」
→ 聖フランチェスコ(自然との調和を説き、鳥やオオカミとも仲良し) - 「こちら、パンを配りすぎて倉庫空にした系です」
→ 聖エリザベト(貧しい人々に惜しみなく施しをした王妃)
…って、なにそれ?
信者じゃない人にはファンタジーに見えるかもしれないけれど、
本人は至って真剣。むしろ聖人たちの人生に励まされてます。
おわりに|信仰の中に、ちょっと笑える日常を
カトリックの信仰は、とても奥深くて静かなものだと思います。
でも、私たち「成人洗礼組」の中には、戸惑ったり、笑ったり、ちょっとツッコミながら歩んできた人も少なくないと思います。真面目に信仰について考えたり祈ったり、けれど、時々湧き上がる素朴な疑問にツッコミを入れてみたり、一見「不謹慎!」と言われそうな疑問やツッコミをきっかけに信仰が深まったりもします。
だから今日も、心の中でツッコミながらミサに行く。
それでも良いのではないかな、と思います。