A年B年C年って何?グータラ信者が思い出すカトリック豆知識

カトリックのカレンダーには、
A年・B年・C年という3つの区分があります。
……あります、とは言いましたが、正直なところ、
「えっと、これ何だっけ?」
「洗礼前の勉強会で聞いたような、聞かなかったような……」
という人、結構いるのではないでしょうか。
はい、私もその一人です。(グータラ信者代表)
そうそう、福音書が違うんだった
そして、聞かれてやっと思い出す。
「あ、確か福音書が違うんだよね?」
そうです。
A・B・Cの違いは、主に読まれる福音書の違い。
ざっくり言うと、
- A年:マタイ福音書
- B年:マルコ福音書
- C年:ルカ福音書
ヨハネ福音書は、復活節などで登場する特別枠です。
なんで3つもあるの?
理由はとてもシンプル。
福音書をまんべんなく読むため。
もし毎年同じ福音書だけだったら、
他の福音書はほとんど読まれないままになってしまいます。
そこで教会は、
じゃあ、3年で一周しよう
と決めました。
A・B・Cの3年サイクルで、
日曜日のミサを通して
主要な福音書を一通り味わえる仕組みになっています。
でも正直、「この前これ聞いたな」ってなる
とはいえ。
この仕組み、理屈は分かっても、体感としてはこうなりがち。
「え、この話、前にも聞いた気がする」
「この福音、最近読んだような……」
それもそのはず。
大人の3年は、驚くほど早い。
子どもの3年は長いのに、
大人の3年は一瞬で過ぎ去ります。
気づけば、また同じ福音書に戻ってきている。
実はこれ、グータラ信者へのハニートラップ
この「3年で一周する仕組み」、
グータラ信者にとっては、なかなか危険です。
なぜなら、
日曜日のミサに通っているだけで

あ、なんか全部読んだ気がする
という錯覚が起きるから。
実際には、
聖書を最初から最後まで読破していなくても、
ミサの朗読で主要な箇所はだいたい耳に入ってきます。
その結果、
「うん、聖書、だいたい網羅した」
という、謎の達成感が生まれる。
……でも、たまにしか出てこない朗読箇所で、
「え?こんなのあった?」
と、急にフリーズ。
天国に行くまでに読破できるか問題
最近の私の、密かな課題がこれです。
天国に行くまでに、聖書をちゃんと読破できるのか。
いや、そもそも天国に行けるかどうかは別として。
(そこは完全に神様案件)
「ミサで聞いたことがある」と
「ちゃんと読んだことがある」は、やっぱり別物です。
いつかは通読したいなぁと思いつつ、
今日もまた、
「へぇ……こんな箇所あったんだ」
と、新鮮な気持ちで朗読を聞いています。
A年?B年?C年?毎年わからなくなる問題
そして毎年恒例のこれ。
「で、今年はA?B?C?」
年末年始あたりで切り替わるので、
感覚だけで覚えるのはほぼ無理です。
私は毎回、
『聖書と典礼』を開いて確認しています。
分からなくても、信仰に支障はありません(たぶん)
ここ、いちばん大事なところ。
A・B・Cが分からなくても、
ミサで心配することはない。
祈りもちゃんと届いている、と思います。
この仕組みは、
理解度チェックのためではなく、助けるためのもの。
「今日はどの福音書なんだろう?」
そう思えたら、それで十分ではないかな、と思います。
また同じ話を聞いている気がしても
「この前これ聞いたな」と思っても、
そのときの自分は、3年前の自分とは違います。
同じ言葉でも、
引っかかる場所が違ったり、
急に心に残ったりする。
だから教会は、
同じ福音を、何度も、何年も、読み続けるのかもしれません。
……とはいえ私は、今年もきっと言います。
「え、今年ってA年、B年?」って。


