成人洗礼カトリックあるある 4|信仰生活、だいたい“ジワる”

信仰を持って真面目に歩んでる…はずなのに、ふとした瞬間にジワジワくる場面、多くないですか?
祈ってるのに笑ってしまう。敬虔なのにポンコツ。
そんな“人間くさくて愛しい”信者あるある、今日もお届けします。
1. 「今、一人前の信徒っぽい所作をしてた…気がする」
無意識に十字を切る。聖歌が始まる前に心の準備が整っている。
そういう瞬間にふと、
「あれ、今の私、案外なじんでる?」
って、内心でちょっとだけ自分を見直す。
でもすぐさま、
「いや待って、そもそも今日来る途中で“主の祈り”忘れかけたし…」と、記憶と現実がよぎって一気に初心者に戻る。
2. ミサ前の「静かな祈り」、静かにできた試しがない
「ミサの前に沈黙のうちに祈りましょう」
ってアナウンス流れて、まわりはしーん…とする中、
「…あれ、財布どこ入れたっけ」
「この前の聖歌番号何番だったっけな…」
「あ、あの人来てる。久しぶり〜(心の声)」
って、祈りどころか脳内チャットが全開になる。
でも最後の5秒くらいで焦って、
「神さま、すいません、今日もよろしくお願いします」って急いで祈る。あるある。
3. 「奉納」と聞いて、財布と相談が始まる
ミサ中の「奉納です」という案内が流れると、
急にバッグをガサゴソし始める信者たち(私も含む)。
「今日は百円玉あったかな…あ、十円しかない!」
「五百円はちょっと今月ピンチ…」
「でも神さまの前でケチるのもどうなの…」
…と、完全に脳内でミニ家計会議が開かれてる。
最終的に「心からの感謝だから!」って言い訳して百円入れる。
神さま、たぶんそのへんの葛藤も見ておられる。きっと。
4. 聖人の逸話、たまに壮絶すぎて「映画化されてないのが不思議」
カトリック信者になると、聖人の話を度々読むようになるのですが、
「この人、野生のライオンに囲まれて祈ってました」
「この方、拷問されながらも赦しを説きました」
「この聖人、石打ちされても歌い続けました」
→「いや、なにそれ映画!?」「普通に生きててそれある!?」
って、毎回びっくりしてしまう。
でも、感動して泣いたあとにふと思う。
「…私、朝の電車の混雑だけで心折れてたな」
って聖人のスケールに打ちのめされるのも、またあるある。
おわりに|今日も笑って“アーメン”
信仰って、もっと堅くて難しいものかと思ってた。
でも実際は、「笑えるくらい人間くさい日常の中に、ちゃんと神さまがいる」と気づかされる毎日。今日も笑って、ちょっと失敗して、でも祈る気持ちはちゃんと持っている。
それが、成人洗礼信者のリアル。(かも?)
信仰にツッコミを添えて。今日もアーメン。


