平和って何?色鉛筆と権力者から考える私の答え

色鉛筆の教会

8月になると、私の所属教会では「平和についてのアンケート」が配られます。
配布された紙に「あなたにとっての平和とは何か」を書き、回収箱に入れる——ただそれだけなのですが、私は今まで一度も締切に間に合ったことがありません(反省…)。

アンケートの結果は後でプリントにまとめられて配られます。
みんなの回答を読むたびに「ちゃんと考えてるなぁ」と感心しきり。

私の場合は、シンプルにこうです。

お互いの違いを認めて理解し合うこと。みんな仲良くしようよ!

戦争を始めるのは誰?

どの時代も戦争を始めるのは、日々を懸命に生きる庶民ではなく、権力者です。
庶民は戦争なんて望まない。そりゃ、気の合わない人や腹の立つ人はいるし、「張り倒してやろうか」と思うことはあっても、実際にはやりません。暴力は良くないからです。

けれど、権力者は自分の欲望や名誉欲のために戦争を始めます。国家レベルの承認欲求モンスター。
「国民のため」と言いつつ、本音は歴史に名を残したい、ノーベル平和賞がほしい、といった自分のため。戦争をやめない某国の首相も、自分の立場を守るために動いているという話を聞きますが、そんな理由で命を奪われる人々はたまったものではありません。

しかも戦争を始めた当事者は安全な場所で贅沢な暮らしをしている。「お前が行けよ!」と言いたくなります。むしろ揉めている国のトップ同士でリングに上がって戦えばいいのに。

みんなちがって、みんないい

国や文化、言語、髪や肌の色、信仰……私たちはみんな違います。
でも、その違いは悪いことでしょうか?私はそうは思いません。

多分、金子みすゞさんの詩だったと思うのですが、
「みんなちがって、みんないい」 という言葉が心に残っています。
みんながそう思えたら、いじめも戦争も起こらないはずです。

私は学校で子どもたちに時々こんな話をします。

色鉛筆の箱が2つあって、ひとつは同じ青ばかり入っている箱、もうひとつは赤や黄、緑、紫……いろんな色が入っている箱。
どっちが楽しい?
同じ色ばかりも安心かもしれないけど、いろんな色があるほうが綺麗で、描ける絵も広がるよね。

人間も、それと同じです。
でも権力者は、その「いろんな色」を無視して、自分と同じ色——しかも金色や銀色ばかりを集め、世界を金ピカ銀ピカに塗りつぶそうとする。
そんな世界では、美しい絵は描けません。ましてや平和も訪れません。

見境なく他人のものを欲しがってはいけない

そして、もう一つ。子どもでも知っている大事なことがあります。
「他人のものを欲しがらない」こと。
ある大国のトップたちは、あまりにも安易に人の土地や資源を欲しがり、恫喝してまで奪おうとします。でも、そんなのは小さな子どもだって「ダメなこと」だと知っている。
むしろ、子どもの方がよっぽどわかっているのではないでしょうか。

ましてや、それを奪い取るなんて言語道断です。

平和への祈り

この時期いっそう、多くの人が平和を願い、悲劇が繰り返されないことを祈ります。
でも、「戦争したい権力者」たちに、その祈りは届いているのでしょうか。
彼らは戦争が起こっても自分だけは安全だから、多くの犠牲者の存在に真摯に向き合う気がないのかもしれません。

私がいつも神様に祈ることはこうです。

この世界が平和になりますように。
私も平和に向かうことのできる存在でいられますように。

もちろん、「宝くじ高額当選しますように」とか「喉の調子が早く良くなりますように」なんて祈りもします。
でも、やっぱり最後にたどり着くのは、平和こそ一番大事だということです。