日本では、カトリックは少数派―成人洗礼あるある、ちょっと真面目な話

日本では、キリスト教徒は少数派です。
そして、その中でもカトリックは、さらに少数派。
とはいえ、毎週ミサに通っていると、教会の中にはそれなりに人がいます。
顔見知りも増えて、「あれ、案外普通なのでは?」という感覚になることもあります。
でも、教会の外に一歩出ると、現実はなかなかにレアな存在らしい。
どうやら私は、世間的には「かなり珍しい人」側に分類されるようです。
大人になってから洗礼を受けるということ
私は、カトリックの家庭で育ったわけではなく、
大人になってから洗礼を受けた、いわゆる成人洗礼の信者です。
でも、実は親族の多くは、
私がカトリックであることを知りません。
理由はとても単純で、

知られると、ちょっと面倒なことになるから。
「改宗した」と言われる違和感
私の親族を含む「家」(いわゆる日本の家制度的なもの)は、
代々、仏壇と神棚のある家。
少し古い価値観の残る田舎の親族に、
「洗礼を受けた」と知られると、
「なんで勝手に改宗したんだ」
と、お説教が始まる可能性が高いのです。
……とはいえ、そもそも私は、

「自分が仏教徒になった」という自覚ないんだけど?
生まれた家が、
仏壇と神棚のある家だった。
それだけのことでした。
「仏教」というより「仏教の習慣」
多くの日本の家庭では、
「仏教を信仰している」というより、
仏教という習慣の中で暮らしている、
という感覚の方が近いのではないかと思います。
だからこそ、
洗礼を受けたことが「改宗」と言われると、
少しだけ違和感があります。
信仰を変えた、というより、
「イエ(家)の習慣から外れた」
と受け取られてしまう。
この感覚も、日本の成人洗礼では、
わりとよく聞く話です。
洗礼を受けないまま通い続ける人たち
そのため、日本では、
家族や親族の理解がないまま、
信仰を続けている人も少なくありません。
中には、
「ずっと教会には通っているけれど、洗礼は受けていない」
という人もいます。
信仰そのものよりも、
家族との関係や、周囲との摩擦が、
洗礼のハードルになっているケースもあるのです。
宗教の自由と、身近なハードル
宗教の自由が保障されている国、とは言われます。
法律的には、その通りです。
でも、実際には、
家族や親族という、とても身近なところに、
案外高いハードルがあったりします。
信仰は個人的なもの。
そう分かっていても、
「家」の空気や期待から、
完全に自由になるのは、なかなか難しい。
静かだけれど、確かにある葛藤
日本でカトリックとして生きる、というのは、
とても静かで、目立たないけれど、
そんな小さな葛藤を抱えながらの日常でもあるのです。

