聖書朗読 ホラーな妄想が止まらなくなる
聖書を読んでいると、結構、つっこみたくなるシーンがあります。
女性が人数に数えられていなかったり、男性社会が色濃かったりもしますが、聖書が書かれた時代を鑑みれば仕方ないでしょう。
神父様にもそう言われた記憶があります。
現代ではありえないけど、聖書の時代は、そういう社会だった、と。
それでも、聖書を読みながら、ついついつっこんでしまう私がいます。
そして、私には「ホラーな妄想」が止まらなくなるシーンがあります。
本当に、「私ってなんて不真面目な信者なんだろう……」と思ってしまいます。
それが、先日の福音朗読(ルカ5・1−11)にある
『恐れることはない、今から後、あなたは人間をとる漁師になる』
という一節です。
漁師だったペトロとヤコブ、ヨハネの召し出しの箇所なのですが、私にはどうしてもホラーな場面がぐるぐるしてしまいます。
まるで魚が取れずボウズの日に、『沖に行って網を下ろしなさい』と言うイエス様の言葉に従ったら、船が沈みそうになるほどの大量の魚が取れてびっくり仰天しているところに、『人間をとる漁師になる』は怖すぎるよなぁ……、と思ってしまいます。
この時、私の頭の中には、こんなイメージがぐるぐると回っています。
こんなふざけた想像をしてしまうのは私だけでしょうか?
どうしても『人間をとる漁師』と聞くと、私はこうなってしまいます😱
(久しぶりに描いた絵が、こんなふざけたイラスト……)
聖書を読んだり朗読を聞いていると、私はそのシーンが頭の中にボワンと浮かびます。それが時々4コマ漫画みたいになったりするので、こんなふざけたシーンが思い浮かんでしまうのかもしれません。
きっと私は、神様の声が聞こえず、こんなふうに「ぎゃー」となってしまっていてるのだろうなぁ、なんて思ったりもします。
神様は「あーあ……」とため息をつきながら呆れている気がします。
敢えて、この記事は「カトリック」のカテゴリーではなく「コラム」に入れておこう、と思います😅