生きることと希望

今日はちょっとショッキングな出来事がありました。

自宅で仕事をしていたのですが、ふとカーテンを開けると大きな道路を挟んだ向かいのビルに人影が見えました。
屋上の柵を越えた、普通なら立ち入らない場所にです。

最初は、ビルのメンテナンスの人かと思ったのですが、ヘルメットも被っていないしちょっと様子が変です。

不安になって緊急通報をし、パトカーと救急車が到着したのでちょっとホッとしていたのですが、その後、警察の方から落ちてしまったと聞きました。救急搬送されたそうなのですが「かなり厳しい状況だと思います」と。

よくドラマではこのようなシーンに野次馬が集まって、見物していたりスマホで撮影していたりしますが、私は「怖くてとても見ていられない」気持ちでした。

警察の人が状況を聞きに訪れた時に、部屋からそのビルの見える状況を撮影していたので、スマホで撮影していれば役に立ったのかもしれません。けれど、人様の命に関わるような緊急事態に、それを撮影するという発想すらありませんでした。

希望と権力者

落ちた方がその後どうなったのかは分かりませんが、とても悲しい気持ちになります。
きっと、とても辛いことがあったのだと思います。

今の世の中の状況では、「生きる希望」が持てなくなる人も少なくないでしょう。
強いものがより強くなり、弱いものは追い込まれる、そんな世の中です。

人が生きるには希望が必要です。ほんのひとかけらの希望でも、それを持っていれば何とか生きることができます。けれど、そのひとかけらの希望も失えば、人は生きることがとても難しくなります。

誰もが希望を持って生きられたなら、不毛な争いや深刻な犯罪も起こらず、自らの手で命を終わらせる選択もしないはずです。

けれど、世の中は「正義」よりも「力を持つ者」が勝ち、それが正しいかどうかよりも強者の権力や利益が「正義」とされているように感じます。
世界の大国と呼ばれる国のトップは、揃いも揃って「己の利益と権力、支配すること」ばかりで、世の中はどんどんおかしな方向に進んでいるように思うのは私だけでしょうか?

どうして彼らは自分の欲望丸出しで、恥ずかしげもなく暴走するのでしょう?もう十分に持っているのに、まだ欲しいの?と思います。

以前、「お金持ちはお金があるともっと欲しくなるし、権力を持つともっと権力が欲しくなる」と言った人がいます。
私は大金を持ったことも権力を持ったこともないので分からないのですが、私もお金や権力を持ったら、私利私欲にまみれて他人を軽んじるような人間になってしまうのだろうか?と思います。

みんなの幸せよりも、自分さえよければそれで良くなるのでしょうか?

「欲望」が生み出すもの

某国の大統領たちもキリスト教徒ですが、神様のことを思えばあんなことはできないはず、と思います。彼らにとって「信仰」とは一体何なのでしょう?

自分たちにとって都合よく利用するものでしかないのでしょうか?「神をも恐れない行為」とはまさに彼らの行いのように思います。

実際、本当に恐れていないのでしょうし……。

私は、この世で一番恐ろしいのは「人間の欲望」だと思います。ただの「欲(欲求)」は前向きな姿勢や成長につながりますが、行き過ぎた「欲」はやがて「欲望」となり悪意や敵意をを生み出します。決して満足できない「欲」が悪魔になる、そんな気がします。

誰もが幸せで希望を持って生きられる世の中、それとは真逆の方向に世界は進んでいるように思えてなりません。