普通に主日のにミサがあることの幸せ

新型コロナの影響で、四旬節第3主日まで中止になっていたミサ。次の主日のミサはどうなるのかしら?と思っていたところ、今月中の主日のミサは中止と通達がありました。
4月からは通常通りに戻していくそうですが、このようなミサのない状況は、非常に稀な事だそうです。

今まで、日曜の朝に「眠っていたいなぁ」とか「寒いから布団から出たくない」なんて思いながら、「でも、ミサに行かなきゃ」と出かけていました。
けれど、この2週間ミサが中止され、「普通にミサがあって、ミサに与れるのはとても幸せな事なのだな」と思いました。

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当たり前が当たり前でなくなる時

毎週ミサがあるのは当たり前だったのですが、それが当たり前でなくなってしまった事で「当たり前だと思っていた事がどれほど幸せか」を、改めて教えられた気がします。

お祈りは家でもできるので、ミサがないから祈れないわけではありません。こんな時だからこそ、それぞれが、出来る形で祈る事が大切なのだな、と思いますが、やっぱりミサが中止になったのは残念でなりません😣

私は、毎日ロザリオの祈りをしようと決め、今のところサボらずに毎日お祈りをしています。(今までどれだけサボっていたの?というツッコミは無しで……😅)そして、気まぐれに聖歌を歌います。グレゴリオ聖歌の天使ミサ曲だったり、ミサで歌う予定だった聖歌だったり、その時の気分だったり、色々です。

歌うと、沈んでいた気分がちょっと軽くなったりします。四旬節になると「四旬節の聖歌ってズドーンとした感じで暗くなるよねぇ……」なんて言ってたのですが、ドーンとした気分の聖歌でも歌えれば幸せ!な気分です。

こんな時だからこそ「善の選択」をしたい

中止になったミサ2回の「聖書と典礼」は予め受け取る事が出来ましたが、次の2回分はありません。教会の事務所に行ったらもらえるかしら〜、なんて。

ミサはありませんが、時間があるときに教会に立ち寄って聖堂でお祈りしてきたいな、と思っています。

「普通である事」が幸せな事なのだ、と思う今日この頃。毎週ミサがあること、普通に仕事に行けること、仕事があること、安心して通勤や買い物ができることなどなど……。

そして、自分の信仰について考えてしまったりもします。
「神様って本当にいるの?」と、決して熱心とは言えない信者ですが、こんな時はやっぱり神様に祈りたくなります。私は、今まで、毎週ミサに行って、安心(?)していたのかもしれません。熱心にお祈りしたのはいつだったかしら?と思うほどです🙄

そんなグータラな信者の私も、改めて神様のいない人生は考えられない、と思います。

ミサが再開されるまでは、教会のお友達や聖歌隊の仲間と会うのも難しく、寂しい限りです。仕事も自宅なので、すっかり引きこもり気味です😅

マスクは相変わらず品薄で、未だにトイレットペーパーを買い込んでいる人も見かけます。物資の買い占めや高額転売するのは他国でも同じようです。他人のことを考えずに困った行動をする人たちもいますがこんな時だからこそ、みんなが「善の選択」をし、国や人種、宗教を超えて助け合う事でこの大変な状況を乗り越え、それが平和な世界に結びついたらいいな、と思います。

無事に復活祭を迎えられることを祈りつつ、今日もロザリオを作っています✨

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コラム

Posted by Francesca