グレゴリオ聖歌と、私の小さな葛藤~祈りの歌を求めて~

いつもなら、待ちに待った春期のグレゴリオ聖歌クラスの受講申し込み。けれど、昨年から心の中で何度も自問自答を繰り返してきた結果、今回は申し込みを見送ることにしました。(昨日が締め切りでした)

10年近く続けてきた、私にとってかけがえのない学びの場。それだけに、この決断に至るまでには、本当に長い時間悩み、葛藤がありました。

他の習い事であれば、もし自分に合わないと感じたなら、思い切って別の場所を探すこともできるでしょう。けれど、私にとってグレゴリオ聖歌は単なる歌の練習ではありません。それは祈りの表現であり、信仰生活の深い部分と結びついた大切なものです。
私はどちらかと言うとグータラ信者ですが、グレゴリオ聖歌は私の中でとても大切な部分だったりします。

そして、残念ながら、私が求めるような形でグレゴリオ聖歌を歌える場所は、そうそう簡単には見つかりません。大好きなグレゴリオ聖歌を歌えなくなるかもしれないという不安は、なかなか拭い去ることができず、答えを出すまでに多くの時間を費やしました。最終的には、仕事の都合でどうしても時間的な制約があるため、一度クラスから離れるという結論に至りました。

けれど、思えば、この仕事の都合は私にとって良いタイミングだったのかもしれません。立ち止まって、改めて自分の気持ちと向き合う機会を与えてくれたように感じています。

もしかしたら、またすぐに「やっぱりクラスのみんなと歌いたい!」という強い思いが湧き上がり、秋からのクラスに申し込みをするかもしれません。あるいは、このまま別の道を歩むことになるかもしれません。

私が本当に歌いたいグレゴリオ聖歌

以前にも何度か書きましたが、私の心にあるのは、「ミサの中で歌うグレゴリオ聖歌」への強い憧れです。けれど、現代の日本のカトリック教会で、グレゴリオ聖歌とラテン語のみで構成されたミサが実現することはとても難しいです。私は入祭から閉祭までの聖歌をグレゴリオ聖歌で歌えるようになりたいと思いますが、それを実際に歌える機会はほぼないでしょう。けれど、私は歌えるようになりたいのです。

なぜなら、万が一にもラテン語の歌を歌えそうな場面に遭遇した時、「歌えますので、グレゴリオ聖歌を歌わせていただけませんか」と、勇気を出して(ダメ元覚悟)お願いできるかもしれないからです。たとえミサ全体がラテン語で行われなくても、聖歌の部分だけでもグレゴリオ聖歌を歌う事ができれば(たとえそれが1曲だけだとしても)、それは私にとって、かけがえのない機会にななります。

奇跡的にそんな機会が訪れたとしても、もし私がその時に歌えなければ、全ては無意味になってしまいます。だからこそ、常に歌える準備をしておきたいのです。

現在の私のレパートリーは、主に死者のミサ(レクイエム)と、Kyriale ではDe Angelis(天使ミサ)、Credoの3番、そして聖霊降臨の日のミサの入祭唱と拝領唱くらいです。待降節からクリスマスにかけての聖歌や定番の賛歌はいくつか歌えますが、レクイエムを除くと、ミサを通して歌えると言えるほどのレパートリーは、まだまだ少ないです。

ラテン語とグレゴリオ聖歌への特別な想い

コロナ禍以前には、グレゴリオ聖歌のクラスとは別に、某カトリック教会で毎年11月にグレゴリオ聖歌とラテン語による「死者のミサ」が執り行われていました。指導してくださる先生は、普段のクラスと同じ方でしたが、私はどちらかというと、この特別なミサの方に重きを置いていました。なので、コロナ禍以降、このミサがなくなってしまったことは、私にとって本当に大きな痛手であり、今でも残念でなりません>_<

ラテン語とグレゴリオ聖歌で捧げられるミサは、やはり特別な響きを持っています。ラテン語の祈り、グレゴリオ聖歌、そしてラテン語で行われる福音朗読。それらが織りなす雰囲気は、言葉では言い表せないほどの感動を与えてくれます。
(歌っている時は必死ですが……)

「ラテン語では意味が分からない」という意見があることも理解できます。けれど、ミサ全体の流れは日本語のミサと基本的に同じですし、祈りの言葉も日本語の祈りがラテン語に変わっただけなので、「何を祈っているのか全く分からない」ということはないように思います。(カトリック初心者の方は混乱するかもですが)

正直なところ、私には仏教のお経の方が、何を唱えているのかさっぱり分かりません。法事などで、お経の意味を理解して唱えている人が、お坊さん以外にどれくらいいるのでしょうか?言葉の意味が分からなくても、その響きや雰囲気から何かを感じ取る、という経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

コンサートありき、についていけない私

コロナ禍以降のグレゴリオ聖歌のクラスは、どちらかというと、コンサートで発表するための曲を練習する、という雰囲気が強くなったように感じています。目標となる発表の場があることで、練習へのモチベーションが上がるのはとても良いことだと思います。けれど、個人的には、練習回数が足りないように感じてしまいます。(春と秋の各5回、計10回)

春のクラスが終わってから、秋のクラスが始まるまでの数ヶ月間は、自主練習をするしかありません。私の努力・能力不足なだけかも知れませんが、私個人としては毎回50点以下の出来のまま本番を迎え、終えてしまいます。

昨年は、泊まりがけの合宿も企画されましたが、私にとっては費用的にも場所的にも、気軽に参加できるものではありませんでした。

合宿よりも、例えば、どこかの練習場所を借りて、数回でも多く練習する機会を設けてくれた方が、私にとってはありがたいと感じてしまいます。

それぞれの思いを尊重するために

もちろん、これはあくまで私の個人的な思いで、それを他の人に押し付けたり、意見したりすることは、決して良いことではないと思っています。先生や、共に歌うクラスの皆さんに対しても、大変失礼なことだと感じています。

先生も、クラスのみなさんも良い方ばかりなので、本当に悩みました。

だからこそ、このような場合は、私が一度距離を置くことが、今の私にとって最善の選択なのではないかと考えるに至りました。

新たな一歩、一人での探求

これからの1年間は、心の赴くままに、自分が本当に歌いたいグレゴリオ聖歌の曲を選び、一人でじっくりと練習する時間にしようと思っています。まずは、ミサの中でも比較的よく歌われるキリアーレから始めるつもりですが、季節的には、まもなく迎える聖霊降臨のグレゴリオ聖歌から取り組んでみるのも良いかもしれません。

一人で歌うことで、これまで気づかなかった新しい発見があるかもしれません。楽な道ではありませんが、私なりにじっくりとグレゴリオ聖歌と向き合っていきたいなぁ、と思います。