グレゴリオ聖歌オタク、教会で歌わせてもらえず悶絶する|~ネウマと私と四線譜~
グレゴリオ聖歌。
それは中世の修道士たちが神に捧げた、荘厳で静謐な祈りの音楽。
そして私にとっては、
「沼」であり、「生きがい」であり、「読める楽譜」です。
最近では、新教皇の就任ミサのニュース映像などからラテン語や聖歌が聞こえてくるたび、耳が勝手に反応してしまい、胸の奥がムズムズ…いや、ズギュゥゥンと疼きます。
「それ、歌わせて!!」と心で叫びながら、スクリーンに向かって謎の祈りのポーズをとる日々。
ああもう、禁断症状です。
1. 五線譜?読めません。四線譜?読めます。
普通は「五線譜が読めて、四線譜のグレゴリオ聖歌はちょっと難しそう…」となるはず。
でも私は逆。
→ 「グレゴリオ聖歌の楽譜なら読めるんです!(ドヤ)」
→ 「え、でも聖歌集はほぼ五線譜…あっ…(察し)」
四線譜とネウマ譜を読むと落ち着く。
五線譜を見ると「あれ…音、どこにあるの?」ってなる。
脳が完全に修道士寄り。
余談:この話はちょっと盛ってますが、聖歌隊に参加するまで四線譜ばかりで歌っていたので、ン十年ぶりの五線譜は「なんか分かんない」状態でした。今ではすっかり慣れたので「音の位置が動かないって楽」と謎の余裕^^;
2. ネウマ譜が複雑だと、逆に燃える
現代人が「何この謎の記号…」って眉をひそめるようなページで私は叫ぶ。
→ 「このエピシェマ付きのペス・スブピンクス、最高!!」
→ 「ビビってんじゃねぇ、これは“音の舞”だ!!」
…と言いながら撃沈。
実力が追いつかなくて、見た目にテンションだけが空回り。
ネウマ譜を前にすると、
“推しが神すぎて語彙力を失うオタク”状態に突入。
ちょっと解説
- エピシェマ=音符の上にある短い横線。「普通に歌うな、そこは味わえ」っていう中世からの無言のメッセージ。
- ペス・スブピンクス=低音から高音に優しく上がるネウマ。つまり、“しっとり粘りながらふわっと上がる”という究極のお祈りポイント。
3. グレゴリオ聖歌グループは方向性の違いでお休み中
大切にしていたグレゴリオ聖歌のグループ。
でも、ある日そっとフェードアウト。
「えっと、私はひたすらネウマと祈りの世界に沼っていたいんだけど…皆とちょい方向性が違った…」
アイドルグループの卒業コメントみたいな切なさ。
そして今、ひとりで楽譜を眺めながら、
→ 「歌いたい…誰か一緒にセクエンツィア全部やろうよ…」
と空を見つめてる。
セクエンツィアとは?
ただの歌じゃない。
それは、
ミサの流れの中に突然現れる、「魂の叫び」みたいな存在。
もともとは、アレルヤを歌ったあと、
喜びや祈りの気持ちを抑えきれず、
「もっと伝えたい、もっと歌いたい」
そんな想いで即興的に歌われたのが始まりです。
復活祭と聖霊降臨でお馴染みの「続唱」をラテン語でセクエンツィアと言います。
なのでセクエンツィアは、
一音一音に、祈りの熱量と、信仰の切実さが込められている。
内容も、「命の勝利」「希望の光」「最後の審判」など、
生と死をかけたテーマばかり。
軽い気持ちで歌えるものではない。(長いし)
それでも歌いたくなるのは、
心の奥に眠る、言葉にできない祈りを呼び起こしてくれるから。
「誰か一緒にセクエンツィア全部やろうよ…」
この一言には、
「一人じゃ抱えきれない想いを、誰かと一緒に歌い上げたい」
そんな、静かで強い願いが隠れているのです。
4. 教会では歌わせてもらえない、このもどかしさ
典礼は現代の聖歌中心。
普通の聖歌すらギリギリの音感なのに、“得意分野”は封印されている”という矛盾。
→ 「なぜだ!私の特技が活かされない世界!!」
→ 「せめて“サンクトゥス”だけでもラテン語で歌わせて…!」
でも言えない。言えたとしても、多分「え、ちょっと怖い…」って言われる。
……すみません、ちょっと盛りました「得意分野」というほど歌えないけど、気持ちは特技!
5. ラテン語+モノフォニー=禁断症状
歌えない日が続くと、だんだん体に変化が。
「あっ、今“キリエ”のフレーズが脳内無限ループしてる…」
「やばい、誰もいない部屋で“クリステ・エレイソン”が出そうになった」
禁断症状。
ラテン語とモノフォニーの欠乏。
しかも最近の追い打ちがこれ。
新教皇ミサの中継。
テレビやSNSのニュースで流れてくる、厳かな祈りの場面。
——ラテン語の祈りが始まり、どこからか聞こえてくるグレゴリオ聖歌のハーモニー(正確には単旋律だけど)。
——カメラに映る、四線譜。(枢機卿たちの手元の冊子にめざとく反応)
——先唱者の美しい声が、ふっと「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」と響かせた、その瞬間。
「……歌わせてぇぇぇぇぇ!!!!」
叫びそうになった。
というか、無言でスクリーンの前にひざまずいた。
もう、私にとっては“神の声”じゃなくて“推しの登場”なんです。
たぶん一般の人には「厳かで外国っぽい宗教音楽」くらいかもしれない。
でも私にとっては、魂を直接かき鳴らす音。
ラテン語+グレゴリオ聖歌=静かなるエモ爆弾。
もうだめ。歌いたい。ほんと、歌いたいだけなんです。
そう、私はただ——
“神に捧げる静かな熱狂”を歌いたいだけなんです!!
おわりに|グレゴリオ聖歌、帰ってこい
もう一度、誰かと一緒にあの一音一音を丁寧に歌いたい。
音程じゃなく、祈りの流れに身を任せるあの感じ。
私の歌声が不安定でも、グレゴリオ聖歌は受け止めてくれる。
だから、またいつか――
“グロリア”を全力で響かせる日まで、ネウマを愛でて待ちます。