祈りを歌いたい私の、ちょっと切ない現状—グレゴリオ聖歌オタクの、静かな葛藤

グレゴリオ聖歌の沼にはまりこんでいる私。
ちょっとしたオタクです。たぶん、いや確実に。
歌い始めてから、かれこれ十年ほど。
今もやっぱり五線譜より四線譜が好き(スラスラ読めるかどうかは別として)。
古ネウマを見ると、その美しさに胸が高鳴ります。
でも、残念ながらその思いを発散できる場所がなかなか見つかりません。
以前所属していた、グレゴリオ聖歌のグループ。
その頃は一緒に歌える仲間がいて、それなりに充実していました。
けれど、少しずつ私とは方向性が違うような気がしてきて……。
そんな思いが積み重なって、今はそっとフェードアウト中。
仲間には仕事の都合と言いましたが、本当の理由は伝えていません。
というより、うまく言葉にできなかったのです。
いや、言ったら多分引かれる……
まさかのご指名(?)にびっくり
フェードアウトしたものの、やっぱり「歌いたい」気持ちは消えず。
一人であちこち検索して、ようやく見つけたのが、とある音楽院の「グレゴリオ聖歌入門」ワークショップ。
「入門」とは書いてあるけれど……内容はどう見てもマニア寄り。
「10世紀の写本」「古ネウマ」「ネウマを生かした歌唱とは」など、見るからに本格的です。
ただ、ミサでグレゴリオ聖歌を歌いたい派の私には合うかも、と思い、勢いで申し込みました。
——その矢先。
以前のグループの先生が、新しいグループチャットを立ち上げ、私もその中に加えられていました。
どうやら「ステップアップしたクラス」を作りたいらしく、そこに選ばれた何人かのひとりが私だったのです。(意見を聞くために作られたグループだと思いますが、そこに加えられたのがもはや驚き)
えっ、私……なぜ?
正直、びっくりしました。
だって、「仕事でお休み中」の私です。
しかも、先生曰く、
「詩篇や先唱など、難しいものにも挑戦できそうな人たちに声をかけた」とのこと。
いや、私、上手くないし、ちゃんと歌えてないし……?
でも、私が歌いたいと思っていたのも、まさにそのあたり。
あれ?もしかして、これ、チャンス……?
方向性の違い、という現実
グループチャット内では、先生が意見を募っていました。
私は正直に、自分の思いをメッセージで伝えました。
- 今回は仕事の都合で受講していないこと
- でも、ミサでグレゴリオ聖歌を歌いたいという気持ちがあること
- 詩篇にも挑戦したいこと
- クラス外での練習機会があればいいな、ということ
あくまで、個人的な思いとして。
先生からは
「グレゴリオ聖歌はミサで歌うのが本来の姿ですから、実践の場も少しずつ作っていきたいですね」と、柔らかな返信をいただきました。
それに対してやりとりが続く……ということもなく、しばらく静かな時間が流れていきました。
ただ、その後、ぼんやりと感じるのは
「やっぱり、他の人たちとは方向性が違う可能性が高いだろうな……」ということ。
何かが悪いわけではなくて、たぶん、他の人たちがこのクラスに求めているものと、
私がグレゴリオ聖歌に求めているものとでは、ちょっと軸が違うのだと思います。
私にとっては、グレゴリオ聖歌は音楽であると同時に祈りです。
でも、そうではない捉え方もある。
どちらが正しいというわけではなくて、立っている場所が違う——それだけのことなのかもしれません。
グレゴリオ愛、Tシャツに込めて?
もし、朝起きたらグレゴリオ聖歌の達人になっていたら。
譜読みも発声も完璧、詩篇も自在、っていう夢のような状態に……。
そんな他力本願な妄想を、今日もこっそりしています。
「I ❤️ Gregorian Chant」Tシャツ、作っちゃおうかな。
パッと見はポップなデザインなのに、よく見たらガチ。
多分それを着てミサに行ったら、気づいてくれる人は気づいてくれるはず。
そして「変な人」認定されるか「仲間」と思ってもらえるかの紙一重。
そして今、私は他の皆さんの動きや流れを静かに見守っています。
グループチャットで発言の機会があれば、自分の思いはきちんと伝えたいと思っています。
ただ、いまはあえて自分から「こうしたい」と主張することは控えようと決めました。
この先、少しの思いの違いはおいといて、スキルアップのために参加するのか。
それとも、やっぱり自分に合う場所を探すのか。
それは、もう少し時間をかけて決めようと思っています。
私はただ、
祈りとしてのグレゴリオ聖歌を、心から歌いたい。
それが、いまの私のいちばんの願いです。