なぜグレゴリオ聖歌は歌われなくなっていくのか

所属教会では土曜日の夕ミサが、天使ミサ曲で行われることがあります。それが、私が聖歌隊に潜り込んでいる大きな理由のひとつですが、それが無くなるかもしれないという状況のようです。

ラテン語のミサ曲は賛否両論の傾向で、「ラテン語の歌だから」という理由で、土曜日の夕ミサを選んでくる信者さんもいる一方で、「意味がわからない」と否定的な信者さんもいます。

ふりがなと日本語訳付きの楽譜なのに

私は「意味がわからないから」という理由でラテン語聖歌を否定されると、なんだか悲しい気分になります。

天使ミサで歌われる聖歌は、5線譜のものが会衆用に用意され、それにはカタカナの読み方と日本語の意味が添えられています。天使ミサを含む、いわゆるKyrialeは、普段ミサで歌う「あわれみの賛歌」「栄光の賛歌」などと意味は同じです。

入祭唱やアレルヤ唱、拝領唱をラテン語で歌うわけではありませんし、4線のネウマ譜を見て歌うわけでもありません。

けれど、「意味がわからなくてイヤ」と言われてしまうのです。

最初、毎週土曜日は天使ミサだったものが、「ラテン語は意味がわからないから日本語にしてほしい」と言う意見があって、隔週になった経緯があります。
意味がわからない、という気持ちはわかりますが、楽譜にはちゃんと日本語の意味が添えられているじゃないの、と思ってしまいます。

スペイン語のミサはOK、でもラテン語はイヤ

所属教会の全てのミサでグレゴリオ聖歌が歌われるわけではありません。ほとんどのミサは日本語のみで行われます。グレゴリオ聖歌が嫌なら日本語のみで行われるミサに行けば良いと思うのですが、「この日しか来られないから日本語にてほしい」という人もいるのだそうです。

確かに、来ることのできるミサの半分がラテン語聖歌では、気の毒な気もしますが……💧

所属教会では、英語と英語以外の言語でもミサが行われています。歌だけでなく全て外国語で行われるミサですが、私はどうしてもその時間にしか行けない場合は「うーん、英語の方がまだ分かるなぁ💧」なんて思いながら、日本語の「聖書と典礼」を見ながら、小声で日本語の祈りを唱えたりします。

外国語で行われるミサに対して「外国語は分からないから日本語にして」とは言わないのに、なぜラテン語やグレゴリオ聖歌に対してだけ「嫌だからやめてくれ」と言うのでしょうか?

どうせイヤだと言われるなら、いっそ天使ミサの日は全部ラテン語にしたら……、なんて思ってしまいます。

私には、仏教のお経の方が、よっぽど意味がわからないと思うのですが、あれを「意味がわからないからやめてくれ」という人はいないはずです。意味がわからないまま読み方を覚え、リズムを覚えたはずです。(私は、未だに子供の頃に練習させられたお経が読めます…😅 )

天使ミサ曲は難しくない

所属教会の天使ミサは、ミサの全てをラテン語で行うわけではなく、ミサ通常文聖歌にあたるキリアーレ4曲がラテン語になるだけです。カトリック聖歌集にも載っていますし、難しいメリスマが入った聖歌もありません。日本語ミサ曲を覚えた時のように覚えることができる聖歌です。

個人的には、覚えやすく簡単な部類のグレゴリオ聖歌ではないかと思います。

ラテン語ミサやラテン語聖歌に否定的な人は、とにかく「意味のわからないラテン語がイヤだ」とか「古くさいから」「時代に合わない」と言います。なぜ古くさいと思うのか、なぜ時代に合わないと思うのか、と聞いても「言葉が古い、ラテン語ミサは大昔の話」と言われるばかり……。

私が初めてグレゴリオ聖歌を聞いた時、もちろん意味などわかりませんでした。それでも、とても美しく心が動かされました。意味のわからない言葉なのに、その中に「祈り」を感じたのです。韻を踏んだ言葉や、メリスマの美しさ……、自分もその言葉で歌ってみたい、祈ってみたい、と思いました。

ラテン語とグレゴリオ聖歌のミサが好きだという人は、今の時代はマイノリティなのかも知れませんが、ラテン語ミサやグレゴリオ聖歌は「カトリック教会の伝統」と言える美しいものだと思います。

「コンサートとかでグレゴリオ聖歌を歌えるからいいじゃない」と言われますが、私はやっぱりミサで歌いたいです。
ただでも少ないその機会が、無くなってしまうのは、とても悲しいことです。😢

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1月8日:追記
土曜日のミサ曲について、リーダーの方が神父様と相談した結果、天使ミサは「死守した!」ということに。あぁ、よかった!✨
改めて、歌う機会を与えて下さる方々に感謝です!