10年やっても“グレゴリオ聖歌入門”!?私の沼が深すぎた件

「中途半端な愛」が一番しつこい。だから私はまた歌いにいく。
グレゴリオ聖歌を歌って10年。
でも気づいたのです。
私、この10年、すごく中途半端だった、と。
なんとなく読めて、なんとなく歌えて、
でも「ソルミゼーション?えっ、ソルフェージュの親戚ですか?」レベル。
所属していたグレゴリオ聖歌グループを、そっと離れてからしばらく。
今もグループチャットには「先生の演奏会です!」「次回は○○の聖歌集から~」と通知が来るけど、気持ちは複雑。
……というか、胃がキュッとなる。
“歌いたい”気持ちはあるのに、まだ“戻る”気持ちに傾き切れない空気感。
教会では歌う場もなく、気づけば私はグレゴリオ聖歌禁断症状。
日常に響くのは、心の中の“Kyrie eleison…”だけ。
このままだと禁断症状のあまり、白目をむいてネウマを描き始めてしまいそう。
ワークショップ発見:「これは…希望かも?」
そんなある日、ネットで見つけたのが
ある音楽院の『グレゴリオ聖歌入門』ワークショップ(3日間)。
“中世・ルネサンス・バロック音楽を学ぶ場”とある。
……えっ?いきなり濃くない?でも入門って書いてあるよ?
講座案内によると:
グレゴリオ聖歌は中世以来教会の典礼で歌い継がれている伝統ある聖歌です。
神秘的でありながら高度に発達した芸術的な歌曲でもあるこの聖歌こそが、
その後1000年にわたるヨーロッパ音楽の土台となったのです。
さらに、「古ネウマ」や「10世紀の写本」の文字が踊る。
「初心者でも大丈夫」とも書いてあるけど、ちょっとだけ躊躇。
私の10年、どこ行った?
入門、とはいえレベルは未知数。
「譜読みから始める」ってことは、もしや…ソルミゼーション?(※注:講座には書かれてなかったけど学院内にそういうコースがあったからつい警戒)
音大出てないし、そもそも譜読みが苦手な私がついていけるのか?
それでも、歌いたい。
レベル高そうで不安要素いっぱい、
それでも申し込んでしまったのは、きっと——
やっぱり、歌いたいから。
グレゴリオ聖歌って、妙に忘れられないのです。
歌っていると、しんと静かな水面に音が落ちるみたいで、
何もかもがすっと整う瞬間がある。
その時間が、恋しいのです。
でも、実際の私は
とはいえ、
譜面台に置かれた10世紀の写本を見て、
「あ、これたぶん上から読めばいいやつ…ですよね?」みたいな感じの私。
音名が ut, re, mi とかで始まると、
「おぉ……ガチの中世が来た……」と身構えるタイプです。
“10年歌ってきた”といっても、
基本は独学と現場(教会)の積み重ね。
音楽大学も出ていないし、ピアノもまともに弾けません。
歌の練習では「感覚派だね!」とよく言われていました。
(たぶん褒め言葉じゃなかった、と思います)
「だったら、私が歌える場所を探すしかない」
そんな思いで、申し込んだこのワークショップ。
内容は本格的だけど、初心者歓迎と書いてあるし、
何より、ここなら遠慮せずに“好き”を出せる気がしたのです。
古ネウマに出会えるかもしれない。
写本の世界を少しのぞけるかもしれない。
何より、グレゴリオ聖歌を愛する人たちに、きっと会える。
そう思ったら、「不安」よりも「楽しみ」の方がちょっとだけ大きくなりました。
とにかく、やってみます。
どんな出会いがあるかはわかりません。
でも、歌える場所があるなら、そこへ行ってみたい。
それに入門、基礎って大事!
自分がやってきたことが間違ってるんじゃないか、と不安ですが、
好きなものには、素直になった者勝ち、ということにしておきます。