ロザリオの珠は祈りの軌跡 四旬節から復活祭へ

みなさんは、手に取るロザリオの珠一つひとつに、どんな思いを込めて祈られていますか? 今回は、四旬節から復活祭までの大切な期間に、ロザリオの珠を「祈りの軌跡」に見立てて、共に信仰の道を歩んでいきたいと思います。

……と突然、真面目な信者さんのような語りから始めてしまいました。
(グータラ信者の私から出た言葉とは思えない^^;)

最近は、あまり真面目にカトリック的な記事を書いてこなかったので、ちょっと真面目に「カトリックらしい」記事を書いてみようと思い立ちました。(四旬節だし)

今日は四旬節から復活祭への期間をロザリオの祈りと共に辿ってみたいと思います。

灰色の始まりに思うこと

四旬節の始まりである灰の水曜日。私たちは頭に灰をいただき、「あなたは塵であり、塵に帰る」という言葉を思い起こします。普段は意識しない「死」という現実を見つめ、自分の弱さや罪深さを改めて自覚する時間ではないでしょうか。

この時、ロザリオの最初の珠をそっと握りしめてみてください。その珠は、私たちが神様の前に立ち返り、悔い改める第一歩の 象徴 です。少し悲しい始まりかもしれませんが、この自覚があるからこそ、これからの希望が見えてくるのではないかと思います。

苦しみの玄義と、共に歩むイエス様

四旬節の間、私たちは特に「苦しみの玄義」を黙想することが多いかもしれません。十字架を背負い、苦難の道を歩まれたイエス様の姿を思い浮かべながら、私たちの苦しみや試練と重ね合わせます。

そうすると、ロザリオの珠をひとつ繰るたびに、イエス様の歩みを追体験するような気持ちになります。
珠を繰る指もなんとなく重くなり、時には、試練の中でもがき苦しんだイエス様の痛みを感じるかもしれません。けれど、その苦しみは孤独なものではなく、いつもそばにいてくださるイエス様の愛の証でもあるのではないでしょうか。

光の玄義に灯る希望の光

四旬節の中間地点を過ぎると、少しずつ復活祭の光が見え始めます。そんな時期には、「光の玄義」を特別な思いで祈ってみましょう。

イエス様の洗礼、カナの婚礼、神の国の告知、聖なる変容、最後の晩餐。これらの出来事は、イエス様が人々に希望を与え、神様の愛を示された瞬間です。ロザリオの珠を繰る指も少し軽やかになり、私たちの心にも明るい希望の光が灯るのを感じられると思います。

復活の喜びを、ロザリオの珠と共に

そして迎える復活祭。それは、イエス様が死を打ち破り復活 された 大きな喜びの日です。

ロザリオの最後の珠を握りしめる時、私たちは勝利を収めたイエス様の喜びと、永遠の命への希望で心が満たされます。四旬節の祈りを通して歩んできた道は、この大きなな喜びに繋がっていたのでしょう。

復活祭後も、ロザリオの祈りは続きます。復活されたイエス様と共に歩む喜びに満ちた日々を、ロザリオの珠一つひとつに感謝の思いを込めて過ごしましょう。

あなたのロザリオは、どんな物語を語りますか?

今回、ロザリオの珠を「祈りの軌跡」という視点から見てみました。皆さんのロザリオの珠には、どんな祈りや思いが刻まれているでしょう?ぜひ、手に取って、この四旬節から復活祭までの霊的な旅路を振り返ってみてはいかがでしょうか?

私の作ったロザリオが、皆さんの祈りの一部となり、神様との絆を深めるお役に立てれば幸いです。