カトリックのお祈りあるある「考えると出てこない問題」

お祈りの言葉、毎週唱えてるのに──
ふとした瞬間に 「あれ? 次なんだっけ?」 ってなること、ありませんか?
そう、あの “考えると出てこない問題”。
寝ぼけてても唱えられるのに、いざ意識した瞬間、脳内がまっしろになるアレです。
新信徒のお祈りカード時代
わたしがまだ「新信徒」と呼ばれていた頃。
毎回、お祈りカードを手にしていました。

天におられる私たちの父よ……
って一行ずつ確認しながら。
ベテラン信者さんたちは、何も見ずにスラスラ唱えていて、
あれがもう 神々しく 見えるんですよね。

すごい…! 暗唱できるなんて!
(※中学生が学食で先輩を見つめる感じで)
当時のわたしにとって、カードなしでお祈りを唱える人は 一種の上級職。
「いつか自分も…!」と密かに憧れていました(遠い目)。
そして今──寝ぼけても唱えられる日々
それから何年もかけて、気づけばすっかり体に染みついていました。
今では寝ぼけてても唱えられます。
というか、寝ぼけてるほうがスムーズに出てくる。
「えーっと次の聖歌何ページだったっけ?」とか考えながらでも、口は勝手に動く。
……いや、集中せぇ。
でもこれ、信者あるあるだと思うんです。
もはや“祈りの言葉”というより、“生活のリズム”。
歯みがきの歌みたいなもんです。
なのに「考える」と出てこない謎
ところが不思議なことに、意識した瞬間に出てこなくなる。
たとえば、使徒信条を唱えながらふと我に帰った瞬間。

三日目に復活し、天に昇って……
(あれ? 次なんだっけ? なんで真っ白?)
※ちなみにニケコンの方は我に返ってないと言えない(つまり覚えてない)
さっきまで寝ぼけてても唱えられたのに!?
脳ってほんと気まぐれです。
無意識でやってるときは“自動運転モード”で流れるのに、
「ちゃんとやらなきゃ!」と思った瞬間に“点検モード”になって止まる。
まるで、心のエンジンにブレーキがかかる瞬間。
歌えるのに、唱えられない問題
そしてこれに近いのが──
「グロリア歌えるのに唱えられない問題」。
そう、あの「天には神に栄光〜🎶」のグロリア。
歌なら日本語でもラテン語でも、楽譜なしでいけるのに。
「今日は歌いません、唱えるだけで」って言われた瞬間──

……え、覚えてない
※すみません盛りました。ラテン語の方は最近歌ってないのでちょっと忘れてます
メロディがないと、記憶も一緒に飛んでいく。
まるで脳が「BGMがないと再生できません」って言ってるみたい(笑)。
「覚える」と「祈る」はちょっと違う
お祈りって、単なる暗記じゃない気がします。
何度も唱えるうちに、意味よりもリズムが体に入ってくる。
だから、考えるより“祈る”ほうがスムーズ。
考えすぎて止まるときは、
もしかしたら「頭で祈ろう」としてるのかもしれません。
ほんとは、心が勝手に祈ってくれてるのに。
フリーズも信仰の一部……たぶん
「アーメン」って言った瞬間、
「え、今ちゃんと全部言えた?」って一瞬不安になることもあるけど。
そんな時はきっと、神さまがニコニコしながら──
「まぁまぁ、落ち着いて。よく頑張ってるよ」
って言ってくださってる……はず。
信仰も記憶も、たまにフリーズしながら前進していくもの。
今日もまた、寝ぼけながら「天におられる私たちの父よ……」と唱えるのです。


