「平和の祈り」のオリジナルは?|実は聖フランシスコの言葉ではなかった

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「平和の祈り」と聞いて、
アシジの聖フランシスコを思い浮かべる方は多いと思います。

私も、そうでした。

ロザリオやカードにもよく使われている、あの祈り。
初めて読んだとき、理由はうまく説明できないのですが、

どストレートに刺さったのです。

「ああ、そうそう。そうだよね」

と、妙に腑に落ちる感じがありました。

平和の祈りとは

「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください…」

という言葉で知られるこの祈りは、
世界中で広く親しまれています。

ロザリオやカード、音楽など、
さまざまな形で目にする機会も多い祈りです。

原文はラテン語ではない?

「原文を知りたい」と思う方も多いのですが、

実はこの祈りは

中世のラテン語ではなく、20世紀初頭のフランス語の文章がもとになっています。

つまり、

  • ラテン語 → 後の翻訳
  • 英語 → 翻訳
  • 日本語 → 翻訳

という関係です。

サンダミアーノの十字架やロザリオパーツに刻まれているラテン語も、
元から存在していたものではなく、

後から翻訳されたバージョンです。

実は聖フランシスコの祈りではない

さらに意外なことに、

この祈りは、聖フランシスコ本人の言葉ではありません。

1910年代、フランスのカトリック雑誌
『La Clochette(ラ・クロシェット)』
に匿名で掲載された文章が始まりとされています。

どうしてフランシスコの祈りになったのか

ではなぜ、

「聖フランシスコの祈り」として広まったのでしょうか。

はっきりした一つのきっかけがあるわけではないのですが、
流れとしてはこう考えられています。

広まりの流れ(ざっくり)

  • 1910年代:フランスで匿名の祈りとして登場
  • 1920〜30年代:祈りとして広まる
  • 同時期:フランシスコの精神と結びつけて紹介される
  • その後:英語圏で「St. Francis’ Prayer」として定着

さらに、

マザー・テレサ
がこの祈りを好んで用いたこともあり、

「平和の祈り=フランシスコ」

というイメージが広く浸透していきました。

なぜ違和感なく結びついたのか

理由は、とてもシンプルです。

内容があまりにもフランシスコ的だったから

例えばこの祈りに出てくるテーマは、

  • 平和
  • 謙遜
  • 与えること
  • 許すこと

どれも、フランシスコの生き方そのものです。

フランシスコが書いたから広まったのではなく、
あまりにもフランシスコらしかったから、
フランシスコの祈りとして受け取られるようになった

そんなふうにも感じます。

私がこの祈りを好きな理由

ここからは少し個人的な話になります。

私がこの祈りを好きな理由は、
正直なところ、うまく説明できません。

でも、初めて読んだときに

「そうそう、それ」

と感じたあの感覚は、今も残っています。

ただひとつ思うのは、

後半の部分。

あれはもう、聖人レベルの世界だな…

と、正直ちょっと遠い目になります。

フランシスコの祈りではないけれど

作者がフランシスコではないと知っても、

それでもやっぱり

この祈りはフランシスコらしい

と感じます。

言葉としては別の時代に生まれたものでも、

その精神は、確かに重なっている。

ロザリオと「平和の祈り」

私が制作している「平和の祈りのロザリオ」では、
専用のパーツに、祈りの前半(英語)が刻まれています。

そして、

サンダミアーノの十字架に後半部分が刻まれているものがあり、
それと組み合わせることで、

祈りがひとつになる

という形になっています。

最近ちょっと困っていること

ただ最近、そのサンダミアーノの十字架に
なかなか巡り会えません。

探しているときには見つからず、
そうでないときに見つかる。

あるあるです。

ちょっと余談

ちなみに少し小さめのサンダミアーノには、

民数記の「アロンの祝福」がラテン語で刻まれたタイプもあり、
この間イタリアから届いたのは、そちらでした。

この「アロンの祝福」の祈りも大好きなのですが、

「今欲しいのはこっちじゃなかった……」

海外の仕入れ先には裏面の写真があっても、
同じタイプで裏面が違うタイプが届くってこと、
よくあります。

返品・交換も面倒なので

うん、これも好きだからまあいいか

ってなります。

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