ミサ中みんなが急に“額をサッ”…あの動きの正体とは?〜福音朗読で取り残された洗礼1年目〜

カトリック教会に通い始めて間もない頃、ミサのたびに「え?今なにした?」「え、なんでみんな十字切ってるの?」と戸惑っていました。
でも――
周りの信者さんにはちょっと聞きにくくて。
しばらくは、「とにかく真似しておこう」と動きを観察しつつ、それが何の意味を持つのかもわからないまま1年ほどが過ぎ…。
ようやくネットで調べて「なるほど、そういうことだったのか!」と腑に落ちたときの安堵感、今でもよく覚えています。
福音朗読の前の“あの十字サイン”、実はとても深い祈りの意味が込められていました。
今回はそんな体験から、「ミサのお作法、誰にどうやって学べばいいの?」という疑問とあわせて、感じたことを綴ってみたいと思います。
あれ?今、何の動きした?
福音朗読の直前、司祭が「○○による福音」と唱えると、会衆が「主に栄光」と応えて……そのあと、みんなが額・口元・胸にシュッ、シュッ、シュッと小さく十字を切る、あの動作。
洗礼前、初めて見たときは
「え、今なに? 何が起きたの?」と完全に置いてけぼり。
洗礼後も、しばらくは
「えっと…このタイミングで…どこだっけ…」とあたふたしていました。
勉強会で教わった記憶もなく、なんとなく周囲の動きを真似しながら、そっと覚えていった気がします。
洗礼勉強会では「そこまで」教えてくれない?
このあたりの細かいお作法は、洗礼準備の勉強会では触れられないことが多いように思います。
もちろん、担当の先生(司祭・シスター・ベテラン信徒さん)によって教え方は様々。
「全部丁寧に教えてくださる方」もいれば、
「とりあえずミサの流れを知ればOK!」というスタンスの方もいます。
そして、もうひとつの鍵となるのが――
「代父母って、そういう役割だったの?」
私の所属教会では、「ミサのお作法は代父母から学ぶもの」という雰囲気があるのですが…。
実際には、求道者の時から毎週一緒にミサに出るほど親しい関係になれるレアケース。
たいていは洗礼志願式が近づいてから「誰かお願いできませんか~」と探し始め、式の当日にようやく顔を合わせる…なんてこともあります。
そんなわけで、ミサのお作法について代父母に教わるのが前提、というのはなかなか難しいのが現実です。
小さな十字に込められた、大きな意味
さて、問題の“あの動作”。
福音朗読の前に、額・口元・胸に小さく十字を切る意味は、以下のように説明されます。
- 額に十字
→ 福音の言葉が、私たちの知性を照らしてくれるように - 口元に十字
→ 福音の言葉を正しく語り、他の人に伝えられるように - 胸に十字
→ 福音の愛が、心の奥に届き、行動に結びつくように
何気なくやっていた動作にも、こうして意味がわかると、ひとつひとつが祈りになる気がします。
そっと聞ける場所があるといい
もちろん、ミサのお作法には教会ごとの“カラー”のような部分もあったりしますし、
「うちではこうする」という慣習もあるでしょう。
だからこそ、「実はよくわからなくて…」ということがあれば、
どうぞ遠慮せずにまわりの信者さんに尋ねてみてください。
きっと、丁寧に教えてくれる人がそっと隣にいます。
信仰の学びは、洗礼のあとからも続く
洗礼はゴールではなく、スタート地点。
洗礼前の勉強会だけで終わり、というのではなく、その後も学び続けられるような機会がもっと増えるといいな、と感じています。
また、代父母制度が「形だけ」にならず、受洗後も信仰を共に歩む存在として関係を築けたら、もっと心強いのではないかと思います。
私も、まだまだ学びの途中。
これからもミサの一つひとつの意味を丁寧に味わいながら、信仰の旅を続けていけたらと思います。