復活徹夜祭 ~光に包まれた夜の、10年目の疑問~

もっこうばらと教会

主のご復活おめでとうございます!

今日は久しぶりに日曜日の朝のミサに参加してきました。復活祭とあって、とても賑わっていました。(多分、いつもの日曜日よりも人は多かった気がします)

きれいにラッピングされたタマゴもいただいて、お昼に美味しくいただきました^^

洗礼10年目でも実は…?復活徹夜祭の謎

洗礼を受けて早10年、自称「ベテラン」カトリック信者の私です(…すみません、盛りました)。昨日も、年間最大のハイライト、復活徹夜祭に参加してきました。あの厳かで希望に満ちた雰囲気は、本当に素晴らしいです!

…ええ、今年も例年通り、感動に包まれた………はずだったのですが、実は、長年ちょっと引っかかっていた儀式がありまして。それは、蝋燭に火を灯すタイミング。

神秘的な光の始まり

復活徹夜祭は「光の祭儀」から始まります。この「光の祭儀」で行われる蝋燭を灯す行為は、復活されたキリストご自身が世の光であることを象徴しています。暗闇の中に光が差し込むように、死の闇を打ち破って復活されたキリストの光が、私たちを照らし、希望を与えてくださることを表しています。

「光の祭儀」は聖堂の外(中で行う場合もあります)で新しい火を祝福する儀式から始まります。この新しい火は、死と復活によって新たに創造された世界を象徴します。

そして、祝福された新しい火から、「復活の蝋燭」(大きな特別な蝋燭)に最初に火が灯されます。これは、復活されたキリストを表す最も重要なシンボルです。司祭の「キリストの光!」という高らかな宣言とともに、私たち会衆は「神に感謝」と応えながら自分の蝋燭に火をいただくわけです。この瞬間は、闇の中に一筋の光が灯るようで、本当に神秘的で美しいです。

…で、ここまではちゃんと分かっているのです。問題はその後。

洗礼式後の「もう一度点火」

典礼が進み、厳かな洗礼式が終わった後、新しく洗礼を受けた兄弟姉妹が、司祭から光を受け取ります。「おー、新しい光だ!」と感動しているのも束の間。私たち会衆も、再び手元の蝋燭に火を灯します。「また灯すのか……」なんて思ってしまう私。蝋燭、結構扱いづらいし、置き場に困るので苦手なのですよねぇ……。蝋燭の火は美しいのですが。

この10年間、そんなことを思いながら復活徹夜祭で蝋燭を手にしていた私ですが、実は私、知らなかったのです。

なぜ2度目の点火があるのか、を。(えー!10年目なのに?)

隣の友人に「今更なんだけど、この2度目の点火の意味って何?」とコソッと聞いたのですが「え〜、知らない。考えたことなかった!」と返答が…………。

知らないのは私だけではなかったと、安心しつつ、やっぱり気になったので、ついさっきググりました。「復活徹夜祭 蝋燭 二度 点火 意味」と……。(10年目なのに初心者まるだし)

明かされた意味 連帯と喜びの光

その結果、ようやく知った「2度目の点火」の意味。それは、洗礼を通して新しく私たちの仲間入りをした兄弟姉妹を、私たちも共にキリストの光で心から歓迎し、共に信仰の道を歩んでいくという、連帯と喜びの表明なのだそうです。(そういえば、聞いた事があったようななかったような……)

私、クリスマスの洗礼式だったから、会衆のみなさんは蝋燭持っていなかったし(……と言い訳)

長年「?」マークを頭に浮かべながら、何となく儀式に参加していた自分が恥ずかしい限りです。けれど、こうして意味を知ることができて、来年からの復活徹夜祭は、もっと深い感動をもって迎えられそうです。

同じように「復活徹夜祭の蝋燭、なんで二回灯すんだろう?」と疑問に思っていた方、いらっしゃいませんか?もしいたら、私と一緒に「なるほど!」と膝を打っていただけると嬉しいです^^;