クリスマスの聖歌 カトリックとプロテスタント

教会の典礼暦では、来月12月3日から新しい典礼暦(B年)の待降節第1主日が始まります。街中がイルミネーションやクリスマスのディスプレイで飾られるせいか、待降節は明るくキラキラしたイメージがあります。

キリスト教西方教会で、待降節はイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことです。宗派によって名称は少し異なっていて、カトリックはやプロテスタントのルター派は「待降節」、聖公会では「降臨節」と呼びます。

英語ではAdvent(アドベンド)で、この言葉の由来はラテン語で「到来」を意味する"Adventus"から来ています。

いつか歌いたい ソロの詩篇唱

さて、以前から待降節のKyrialeを歌えるように練習しようと思っていましたが、ほとんどできないまま待降節に突入しそうです。平日のミサに使われるKyriale XVIIIは歌えるのですが、日曜の主日のKyriale XVIIは、Kyrie以外は楽譜に目を通しただけなので、まだまだ怪しい感じです。

……とは言え、残念ながらミサで歌う予定はありません。自分なりに目標地点を決めての自主練習なので、どうにも怠けてしまいがちです 😅

先日、クリスマスのコンサートで歌うグレゴリオ聖歌の練習中に、先生が「詩篇部分をソロで歌いたい人いますか?」と皆に聞きました。そこは、私が大好きな部分で、歌ってみたい衝動に駆られましたが、何と言ってもまだまだ初心者、とてもそんな勇気は出ません。

詩篇をソロで歌えるようになりたい、と言うのは、私のな夢の一つです✨

現実的には、普段の主日のミサで歌う答唱詩篇の独唱部をずっこけずに歌いたいところです。

カトリックとプロテスタントではちょっと違う聖歌

クリスマスのコンサートでは、グレゴリオ聖歌以外にも、日本語の聖歌も何曲か歌います。定番の曲ばかりですが、カトリックとプロテスタントでは、曲のタイトルや歌詞が違っていたり、メロディが少し違っているものがあります。

「あめのみつかいの」と「荒れ野のはてに」は元は同じ曲ですが、「あめのみつかいの」はカトリック教会、「荒れ野の果てに」は主にプロテスタント教会で歌われるものです。

ちょっと面白いので、比べて見ました。

「あめのみつかいの」と「荒れ野のはてに」

コンサートで歌うのは「荒野のはてに」、所属教会のミサで歌うのはカトリック聖歌集の「あめのみつかいの」です。
歌詞が明らかに違うので、歌詞を間違えることはないのですが、「グロリア〜」のところは、ほんの少し音が違うので要注意箇所です。

あめのみつかいの

天(あめ)のみつかいの うた声ひびく
星かげさやかな まき場の空に
グロリア インエクシェルシス デオ
グロリア インエクシェルシス デオ

貧しいうまやの 恵みのみ子に
ほめ歌ささげて よろこび歌う
グロリア インエクシェルシス デオ
グロリア インエクシェルシス デオ

やさしい幼な子 救いのみ子よ
み国をのぞみて み前にいのる
グロリア インエクシェルシス デオ
グロリア インエクシェルシス デオ

荒野のはてに クール・ド・アマトゥール 第56回定演 2008年

荒野のはてに
荒野(あらの)の果てに 夕日は落ちて
妙(たえ)なる調べ 天(あめ)より響く
グロリア イン エクセルシス デオ
グロリア 、イン エクセルシス デオ

羊を守る 野辺の牧人
天なる歌を 喜び聞きぬ
グロリア イン エクセルシス デオ
グロリア イン エクセルシス デオ

御歌(みうた)を聞きて 羊飼いらは
馬槽(まぶね)に伏せる 御子を拝みぬ
グロリア イン エクセルシス デオ
グロリア イン エクセルシス デオ

今日しも御子は 生まれ給いぬ
よろずの民よ 勇みて歌え
グロリア イン エクセルシス デオ
グロリア イン エクセルシス デオ

「まきびと」と「まきびと羊を」

「まきびと羊を」も2パターンあります。カトリック聖歌集では「まきびと」というタイトルになっていますが、一般的には「まきびと羊を」が知られているようです。歌詞が全く違う部分があるのですが、どうやらカトリックとプロテスタントの教派によって、どちらを歌うか違っているようです。

聖公会の聖歌集94番は、カトリック聖歌集635の「まきびと」と同じでした。
「まきびと羊を」の方は、歌詞が5番まであります。

動画は聖公会の聖歌94 「まきびと羊を」です。カトリック聖歌集635「まきびと」と同じです。

牧人ひつじを 守れるその宵(よい)、
たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ。
喜びたたえよ、主イエスは生まれぬ。

仰げばみ空に きらめく明星(あかぼし)、
夜昼(よるひる)さやかに 輝きわたれり。
喜びたたえよ、主イエスは生まれぬ。

その星しるべに みたりの博士(はかせ)ら、
メシヤを尋ねて はるばる旅しぬ。
喜びたたえよ、主イエスは生まれぬ。

くすしき光の 導くまにまに、
博士はまぶねの 主イエスに見(まみ)えぬ。
喜びたたえよ、主イエスは生まれぬ。

讃美歌21 258番 まきびとひつじを

まきびとひつじを 見守るその夜、
はじめて天使は ノエルを伝えた。
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル
主イェスは生まれた。

神の子主イェスは まずしい姿で
この世に来られて まぶねに生まれた。
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル
主イェスは生まれた。

博士は輝くその星たよりに
はるばるまぶねの 主イェスを訪ねた。
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル
主イェスは生まれた。

喜びあふれて 東の博士は
主イェスを拝んで 宝をささげた。
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル
主イェスは生まれた。

われらもこよいは 歌声合わせて
平和をもたらす 主イェスをたたえよう。
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル
主イェスは生まれた。

「しずけき」と「きよしこの夜」、一般向け「きよしこの夜」

他にも、クリスマスにはおなじみの「きよしこの夜」もカトリック聖歌集では「しずけき」と言うタイトルで、歌詞も少し違っています。
どれも、原曲は同じですが、訳者によって歌詞が違って来たのだと思います。

この歌は、カトリックとプロテスタントの他に、一般向けの歌詞があります。確かに、音楽の教科書に載っていたのはこれだったような……。カトリック版とプロテスト版を足して、最後の一言はオリジナル、な感じです。

カトリック「しずけき」

静けき真夜中 貧しうまや
神のひとり子は み母の胸に
眠りたもう やすらかに

プロテスタント「きよしこの夜」

きよしこの夜 星は光り
救いのみ子は まぶねの中に
眠りたもう いとやすく

一般向け「きよしこの夜」

きよしこの夜 星はひかり
救いの御子は み母の胸に
眠りたもう 夢やすく