聖歌隊 見えてないけど歌うしかない|メガネと楽譜と眉間のしわ

うなだれる天使

本日、土曜夕方のミサ。
いつものように教会へ向かい、何の疑いもなく典礼聖歌を開いたその瞬間――気づきました。

メガネ、忘れた😱

ちなみに今日は「キリストの聖体」の主日。
イエス様が私たちに与えてくださった「ご聖体」という、カトリック信仰の核心を祝う大事な日です。

本来は聖霊降臨の後の第二木曜日に祝われるのですが、
日本のようなキリスト教国でない地域では、日曜日に移動して祝う「移動祭日」とされています(『聖書と典礼』にも記載あり)。

そんな大切な日に、よりによってメガネを忘れた私。

かつては裸眼で楽譜が見えたのに

聖歌隊で歌い始めた頃は、メガネなんて無縁。
「細かい文字も楽譜も、裸眼で余裕ですよ〜」と涼しい顔をしていたあの頃。

ところが数年のうちに、「あれ?“神”って字、こんなにボヤけてたっけ…?」
聖書と典礼の文字が霞み始め、やがて訪れる――老眼デビュー。

メガネは、もはや私の祈りのパートナーです。

今日、そのパートナーを忘れました(絶望)

楽譜が……見えない。
歌詞が……霞んでいる。
「これ、ラテン語?日本語?いや、もはや文字なのか?」

しかも今日は、メンバーのひとりが不調で、無理できない状態。
3人しかいない中で、実質2人が主戦力という…ミニマム構成の恐怖。

もうこれは、眉間にしわを寄せつつ、楽譜をガン見して歌う“信仰の博打”状態。

先唱じゃなくて良かった。本気で。

もし今日の先唱当番だったら………
「詩篇あってるか博打」状態確定。

考えただけで震え上がります。

ミサ前に慌ててコンビニに走って、拡大コピーしてたかもしれません。
いや、そもそもコピー機のパネルのボタンが見えない、多分。

不幸中の幸い:Ave Verumは覚えてた

久々に歌う"Ave Verum Corpus"(まことの御からだ)
キリストの聖体の主日にぴったりな美しい曲です。

ソプラノの私は主旋律(←主旋律しか歌えないから)、そして頼りになるプロのメンバーが今日はアルト担当。

…もっとしっかり、ちゃんと歌いたかった。

歌詞もメロディも覚えていたのが唯一の救いだけれど、
やっぱり楽譜を見ながら「今ここを一緒に歌ってる」という瞬間の喜びを味わいたかったなぁ、という思いもあります。

楽譜が見えないと、信仰心じゃなくて肝が試される

3人しかいないということは、誰が音を外しても全部聞こえるということ。
でも、楽譜が見えない=どこを歌ってるか分からない=とりあえず歌うしかないという非常にスリリングな状況。

もはや「これは祈りか、それとも賭けか」の世界。
信仰って、いろんな意味で試されるなぁと思いました(白目)。

教訓:メガネは信仰と同じ、手放すと迷います。

もうメガネを忘れないようにします。
メガネなしでは、楽譜も、「聖書と典礼」も見えません。
まるで信仰の光を見失ったかのように…(←ちょっと盛ってます)

皆さんもどうかお気をつけください。
今日も眉間のしわと共に歌いし我、来週は心軽やかに歌いたし――。